新年ですが、
私には、昨日の続きです。
昨日やり残した、ことをするだけです。
New Year’s Resolutions ひとつだけ思いついていたのを忘れてしまい、思い出すように努めています。
元旦には、寺の22箇所に小さなお雑煮を供えてから、
お経を唱えて、御節とお雑煮をいただきます。
朝からお酒は飲みません。
終わったらご馳走様のお経で締めます。
出していなかった方からの年賀状の返信先を決めて書きます。
印刷だけで、一言コメントがない人には出しません。
毎年、元旦の朝の気分は違います。
もう十数年前、信じられないほど気分が晴れやかで、るんるんと自然と体が動き、
多分今まで生きてきた中で、一番気分の良いお正月を迎えました。
何か良いものが降臨したのでしょうか。
そんな日がまたあればいいのですが。
母が生きてきた頃は、毎年、元旦の夜は、実家に私のところと妹の家族が集まって、母の手料理をいただきました。
6、7年前だったでしょうか、母が、もう今年で新年の行事はやめると宣言して、最後の盛大なご馳走パーティーになり、その年、妹の息子が『結婚します』と発表しました。
母の返事は、『何か悪い予感がしたのよ』でした。可笑しすぎて、元旦を迎えるたびに、死ぬまで忘れられそうにありません。
型通りでない言葉の反応が好きなので、母の名言として心に残っています。
そして、ある意味、とても正直な言葉だと思いました。
歳も取ってきて、皆んなの接待をするのにも疲れてきて、これ以上家族が増えるのが負担になっていたのです。
そんな気持ちが、あの言葉にこもっていました。
その後、軽い認知症になってから、曽孫を連れて行ったら、抱くと泣き喚く赤ちゃんを手に困った顔をしている母の写真をカメラに収めました。
自分の感情に正直なところ、欠点でもあるけれど、わたしにも引き継がれている性格です。
その上、欠点があっても、自分が好きという困った性格も同じです。
今年の元旦は、三女が、仕事に早朝から出かけていたので、夫と2人でした。
そして、今年の新年の気分は、不機嫌で皮肉を言いたい気分でしたので、寺なのでドッサリ来る年賀状を、夫が出していないものと、出したものに分けず、県内寺院、檀家、友達、DMなどのジャンル分けを先にしているので、出していない分を先に抽出する方が効率が良いのではないかと、新年一発目のキツーい指摘をしてしまいました。
こんな新年の始まりです、おそらく、最初にキラキラハッピーなふわついた気分ではないので、今年は、かなり堅実でしかも斬新な行動のできる、素晴らしい一年になると思います!
今年もこんなねじれまくった精神のワタクシと、付き合ってやろうじゃないかと仰る奇特な方がいらしたら、どうかよろしくお付き合いお願いいたします。
PEACE❤︎