2ヶ月間だけ三女がネトフリックスに加入していたので、録画は後回しにして、観たかった作品を優先した。


「グッドフェローズ」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の巨匠マーティン・スコセッシ監督がチャールズ・ブラントのノンフィクションを実力派キャストの豪華共演で映画化した実録犯罪大作映画。第2次大戦後のアメリカ裏社会の盛衰を、実在の殺し屋フランク・シーランの半生を通して描き出す。主演はロバート・デ・ニーロ、共演にアル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテル。Netflixでの配信に先立ち一部劇場でも公開。(allcinema)


感想

ロバート・デニーロが演じるフランク・シーランは、初め豚肉の肉塊を運ぶトラック運転手をしていたが、ある時、ガソリンスタンドでジョー・ペシが演じるマフィア、ラッセル・バッファリーノに親切にされ、その後、肉を少しずつ…最後には全部横流しするというちょっとした悪事に加担するようになるが、その後、ラッセルとは切れない縁で繋がっていく。

映画は、この2人が妻を伴ってデトロイトに行くのだが(どこからだったか忘れた)、ラッセルが飛行機に乗るのが嫌いなので、3日半くらいかかる行程を、フランクの運転で進んでいくという始まり方。

そして、時間の逆戻りがあり、そこに至るまでの、フランクがラッセルの忠実な手下となっていく過程が描かれていく。

ラッセルの常に感情を押さえた、要求を婉曲的にフランクや他の部下に伝える様子が、私には印象的で、個性的な俳優だと思っていたジョー・ペシの静かなる個性を新たに発見した思いで、のちに重要人物として登場する派手な喋り方で、自己中心的な行動を押し通すアル・パチーノが演じる全米トラック運転手組合のリーダー、ジミー・ホッファの三つ巴の演技派3人の中でも、たいそう印象的で感銘を受けた。
素晴らしい演技だったと思う。

最初に人を殺す時、新しい銃を使うことという指示を受け、それを捨てる橋の下には、小国一国が戦争できるほどの銃が川底に捨てられているという描写が強く心に残っている。ある意味ユーモラスでもある。

ラッセルは、人を動かすことに長けていて、指示は恐ろしいことをするようには聞こえないほど安定している。

表面上の一番のテーマは、ホッファを優遇しないケネディ一家に対してニクソンに献金する彼の行き過ぎた行動の後の失踪とフランクの役割、つまり彼を殺すということだが、スコセッシは、自身が描いてきたマフィアものの集大成の意味も込めていたように感じる。
それとともに過去から現在に通じるアメリカへの郷愁と批判の両方が、たまにユーモラスにさえ感じるような手法で語られている。

フランクは当初、ホッファを助けるべくラッセルからホッファに紹介され、彼のために尽力する。不都合は片付ける。

しかし、デトロイトまでの途中、飛行機を待機させて、ラッセルはフランクにデトロイトに飛び、お荷物となってきたホッファを亡き者とするために送り出す。

周到に準備された状態で、何も疑わないホッファはフランクと共に殺しの現場となる家に車で到着し、何も疑わないままに、フランクに殺される。
準備と後始末は別の手下たちがして、フランクはそのままとんぼ返りで、道中のラッセルのもとに戻る。

フランクの冷徹な性分は、過去の戦争で、墓穴を掘らせてから、彼ら敵を躊躇なく射殺するというシーンで納得させられる。
フランクは、家族には自分のしていることを明らかにせず良い父親を演じていたが、娘のペギー『アナ・パキン)は全てを見通し、父を嫌っていた。

ホッファの死体が上がらないものの、事件をきっかけに広範な捜査がフランクにも、ラッセルにも及び、刑務所に収監されることになる。

刑務所から出て老人ホームか介護施設に入っているフランクの回想という形になっている。

ラッセルは、刑務所で年老いて、警察病院で亡くなったようだ。

ラッセルはCIAとも関係があったらしく、政府もマフィアを使って、捨てたということになる。

多分もう一度くらい見ないと、細かいところが抜け落ちている。

画面上人物の紹介をストップシーンでいつどんな死に方をしたかという形で説明が入る。

また、主演者たちは壮年から老人になるまで、本人たちがCGも使ってだろうが、演じ通している。

209分という長い作品だが、全く飽きず、眠くもならず、さすがスコセッシ監督!と嬉しくなるような作品だった。

アイリッシュマンというのは冷徹な殺し屋フランクのことである。

アメリカのイタリアンマフィアやアイリッシュマフィアの暗い歴史ながら、作品には賞賛を贈らずにはいられない。

スコ爺大好き!

*