大阪城 | 1&3

1&3

日々の出来事(^^)



こんばんは♡



ずーっと前にも


書いた事があるかも。ですが


はなかじょー。笑


娘ちゃんは当時3歳だったかな


大阪城が大好きで


でも、おおさかじょう。が


言えなくて


はなかじょーいくー。


と、よく言ってました。


昔の様な


カラクリは無くなりましたが


今でも


大阪城から周りを見渡した時に


感じることは


変わりませんねー。


いつか大阪城の


イルミネーションも


見たいなー。


大阪城でのガチャガチャで


小さな武将フィギュアが


あるのですが


息子kunは、その時の


ミニチュア秀吉を


いまだにライトアップしたりして


楽しんでいます。


良かったのか悪かったのか


大阪城が好きな


娘ちゃんを大阪城めあてに


連れて行かなくても


祖父の入院先は


大阪城を通り越さないと


行けなかったので


毎日、大阪城を見ることは


出来ました。


病院から見える大阪城も


夜になって


反射して見えなくなるまでは


毎日見れました。


祖父が子供の頃に


釣りをした大阪城と


今の大阪城は違いますが


唯一、大好きな同じ場所。


木の彫り物や


大きく積み上げられた


岩や石や木。


当時の人は


どういう風に運び


どうやって積み上げたのか。


どれだけの人が加わって


どれだけの期間で


出来たのか。


大きな機械もない時代に


すごい事を人は


やり遂げる事が


出来るんだなと。


1本の木をつかい


キッチリと枠内に収めながら


後付け方式ではない


もはや神業の


昔の大工さんも


天才だな、と


私は思っていますおねがい


どんな事でも


1から始めようと思ったら


深く掘り下げて


自分の目で見て調べて


分からなかった時は


教えてもらう。


なんでも


やってみたらいい。


という祖父でした。


特に私は恥ずかしがりで


自分の思ったことを


ストレートに伝えられない


タイプだったので


いつも全てを後押しして


支えてくれていました。


何人もいる子供の中で


1番、手がかかり


1番、そばにいて


最期は私の名前を


呼んでいてくれた祖父。


大阪城は毎日見なくなり


まだ見ると辛いけど


でも、また行きたいと思う。


祖父の好きな大阪城を


私が好きになり


私から生まれた娘ちゃんは


初めて見た日から


大阪城が好きで


祖父が大好きで


祖父も大好きだった


娘ちゃん。


いまだに祖父を思い出して


ポソっと


ひいじぃーちゃん…


と涙を流す姿は


耐えがたい辛さですが


きっと


娘ちゃんは


心の優しい子に育っている。と


思えます。


どれだけ学力があっても


スポーツ万能でも


人気者でも


心が無かったら


そこに価値は無いなと


私は思うので。


唯一、お金では


買えないもの。


人の脳は買えたとしても。笑


そこだけは


ブレずにいたい。


大阪城…



次はいつ


行けるかなー。