私は、何のために生まれて来たのか
分からない。
友達はよく親とお出掛けをする。
家族で旅行にも行く。
私にはそんな思い出はひとつもない。
母は言う。
『どこにもついて来ない子』だと。
私は思う。
『私に、どこに行きたいか』
それを何故訊かないのかと。
母は言う。
『あなたは楽しみすら持てない子』だと。
私は思う。
『やりたいと言って、やらせてくれた事がひとつでもあったのか』と。
私は、友達と同じ中学校へ行きたかった。
小学4年だった私は、分からなかった。
受験というものが何を意味するのか。
友達と離れてしまうという事も、
落ちこぼれになってしまうという事も。
少し有名な学校の制服を着た私を連れて歩く事
これがやりたかった母。
私ではなく、その学校の制服が自慢だった母。
中学校に入った私は、みんなについて行くだけで精一杯。
そこに、自由はなかった。
惨めな私。
学校で勉強して
塾で勉強して
家でも勉強して
そうやって過ごした6年間。
友達もいない。
世の中の事も分からない。
私は人間。
人間ってこうやって、生きていくものなの?
私は、病気。
病名は『不用物』
こんな自分にサヨナラ出来るなんて
考えた事もなかった。
私は、今年の3月、大学受験に失敗した。
有名な大学に入らなければ
母に捨てられると思っての大学受験に。
予備校に入って3カ月が過ぎた。
突然、母が入院した。
母のいきすぎる行動を見かねた父が精神科に連れて行った。
世の中には、そんな病気があるのかと驚くような病名がつけられた。
私も予備軍だ。
7月6日、19歳になった。
お休みしよう。
もう、私を束縛するものは何もない。
父にきいた。
私、大学行かなくても生きていけるの?
父は答えた。
当たり前さ。
楽しく笑って生きていけばいいんだぞ。
変わらなきゃ私。
今変わらなきゃ。
母のせいにして、自分の心をいじめてきたのは、自分自身だ。
母は一生懸命だっただけだ。
私も怖かっただけだ。
私、ピアノを習う。
保育士の免許をとる。
なりたい職業は保育士さん、と、答えていた小さい頃の私の夢にチャレンジしてみる。
これからは、自分の心で決めていく。
お母さん、あなたの自慢の娘ではなくなります。
いい大学に通う娘にはなりません。
でも、自分の力で生きていける娘になりますから。
たったひとつの命だから
私はもう迷いません。
自分の道は、自分で決めて進みます。
更に思います。
19年の私の人生にありがとう。
谷底を味わった19年にありがとう。
父と母にありがとう。
この命にありがとう。
19歳のわたし