子供たちは元気に学校に行き、時には珍事件もあるけれど、まあまあ平凡な日々を送っていた。
あの日、足が痛いと言う息子を連れて、整形外科へ行くまでは。
成長痛と診断されるものと勝手に思い込み軽い気持ちで診察室へ入っていった私。
先生が「見つかったものは仕方ないじゃないか」とつぶやいた。
???何がおき何を言われているのかサッパリわからない。
レントゲンの写真には太腿の骨なのに大きく真っ黒の卵が写っていた。
それは、いわゆる腫瘍という物体らしかった。
これが、家族の闘いの幕開けだった。
『転ぶな・足を打つな・走るな・・』『腫瘍のところを骨折したら、一瞬にして左足切断』いくつもの注意を受けた11歳の息子は、すんなり事態の重大さを理解していた。
当然、目の前が真っ暗になった私をはじめ家族はパニック状態。
生きた心地がしなかった。
それから手術を受け、スポーツという一番好きな事を禁止され、周りの注意にうんざりした日々を送った息子。
感情をコントロール出来ない日もあっただろう。
好きな事をやって充実した日々を送る友人を見て、複雑な思いにかられた日もあっただろう。
しかし、完治するまでの4年間、私は息子の愚痴を一度も聞いた事がない。
弱音を吐いた事もない。・・・
息子を支えてくれた友達のみんな、ありがとう。
そして、おばちゃんを支えてくれたみんな、ありがとう。
おばちゃん一人じゃ倒れていたよ。
毎日毎日、外で遊べない息子に合わせて教室で遊んでくれたよね。
必ず誰かがそばにいてくれたよね。ありがとう。
病気が見つかって、たくさん泣いたし悩んだけれど決して悪い事ばかりじゃなかった。
周りの人達がいてこそ私が存在する事を知ったし、何よりたくさんの人と出会えた。
たった一つの命を見つめ直す事の大切さを、多くの方から教わった。
全ての方に感謝します。
たった一つの命・・いい事もあるさ なんとか乗り越えよう
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。。。。。
あれから ちょうど10年がたちました
5年生だった息子の左足に見つかった大きな大きな腫瘍
あれ程の苦しみや哀しみはもうこないだろうと思っていたのに
容赦なくその後も私たち家族にはいろんなことがおきた
息子の病気で家族はひとつになれたはずだったのに
今 その家族は見事にバラバラに
家族ってなんだろう
あの病気が教えてくれたこと その答えを探す旅の。。まだその渦中にある
人と人は 心で繋がることが一番大切
それは 夫婦もそうだし 親子だってそう
もう一度私自身が気付かなければならないこと
人を愛するということ・・・・・