立ち上げの思い出 | ワンライフプロジェクトのブログ

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平成18年(2006年)に 福岡県筑後市で 『ワンライフプロジェクト』 という活動を立ち上げました。
『たったひとつの命だから』この一行の言葉にあなたは何とつなげますか?
 

この頃 問い合わせの電話が増えました


なので 私たちの5年間の足跡を書き残しておきたいと思います。



ワンライフプロジェクトが誕生したのは 2006年5月20日


代表は 私ではありません。 初代は 童涼景さん。


尊敬する詩人さん・・・・ 


この方と二人でいろいろ考えて そして 童さんの発想で生まれました!!


横浜に住む女の子から年賀状を受け取ったのも童さん、私ではありません。


童さんが 私に投げかけたんです・・・


「冨田さんなら なんと繋ぐ? 子供達はどう繋ぐだろうか・・?」と


高校生の菜摘と その日は朝からメールをやりとりしていました。


咄嗟に 菜摘に問いかけましたよー あなたならなんと繋ぐ?って


そうしたら メッチャいい言葉を返してきたではありませんかーーーーー!!


童さんと二人感動しまくりました。


童さんが言いました!「よし、言葉を集めて本を作ろう」と!!


そこからは冨田担当です~ 早速回りの友達 子供達にお知らせをしてメッセージ集めに取り掛かりました。



私の動機は 病気で苦しむ女の子の命を救いたい・・・


余命1年の女の子、でも たくさんの人の想いが集まったら必ず奇跡はおきるはずと・・・


たくさんの言葉を集めて 女の子に贈って そして 病気なんか吹き飛ばすんだ!!


奇跡は必ずおきる!! うちの修平(次男)におきたように!


そう、100%の自信つき。 医者の言うことは完璧じゃない・・・私が一番それを知っている。。。と



スタッフの動機はそれぞれ 少しずつ違っていたに違いない


それでよかった。 それぞれの想いでやればいいのだから・・・・


童さんの動機は 自殺者をなくしたい!というのが一番だった。


命を粗末にしないで 見つめなおしてもらいたい・・そう仰っていました。



メッセージを集めたのは 高校生 中学生の女の子と 私たちママ友数人。。。。


苦戦を強いられました。


なかなか ポンと書いてもらえるものではありませんでした・・・


子供達のほうが ポンポン書いていく 大人は考え込んでしまう


それでも 新聞の取材を受ける日までに15くらいは集めましたよ


新聞に掲載してもらって  思わぬ展開が始まりました。


久留米のドリームスFMさんが 番組に呼んでくださいました~


土曜の朝の20分生番組


パーソナリティの岩坂さんが 優しくて面白い方だったので緊張もなく喋らせていただきましたけど


それを聴いていた我がスタッフさんたちは 笑った!そうな・・・・


その夜 ちゃんと みんなで聴きましたよ その録音テープを


これは 私の宝物


初めてのラジオ出演ですもの~~~~~~ 永久保存ですわ~~~


一つでも 二つでもメッセージがくればいいな~そんな気持ちでしたから



これがきっかけで メッセージがラジオ局に寄せられ始めます


ラジオの力恐るべし!! テレビでは広がりません。 ラジオなんです!! 声だけ、音だけ。



 メッセージが毎週当たり前のように届き始め 遂には 番組内で 『コーナー化』


 岩坂さんのファンの皆さんのおかげです。


 久留米はあったかい地域です。


 人のメッセージが 人のメッセージを呼び起こしていったんですもの・・・



 それでは 1通目のメッセージをご紹介しますね



◆『たった一つの命だから マイペースで生きる

 私達は、戦後の貧しい日本を見てきました。

 みんなが がむしゃらでした。貧しくても助け合い

けんかなんてありませんでした

物はなかったけれど、その分自然と仲良しでした

男の人と口もきけない時代だったけれど、傷付け合う言葉もありませんでした

ずいぶん成長した日本だけれど、本当にこれでいいのか疑問だけが残ります

政治家も組織の幹部も信用できないような国になって、こんな国にしてしまって子供たちにたくしていく 本当に心が痛いです   

頑張りすぎたのかもしれないですね

頑張りすぎて、見えなくなっていた  ごめんなさいね

あなたたちは、急がずマイペースでいきなさいね

もうこの星にいる時間もながくない おばあちゃんからの最後のメッセージです

            しょうちゃんと大ちゃんの おばあちゃんより