子ども同士の遊びには
遠慮がない
互いに限界を
越えようと無意識に遊ぶ

外遊びや集団遊びが
減ってきていると
20年近く前にも
言われていた

自らの卒論でも
取り上げた

子ども自身の問題ではなく
大人と社会が
そうさせていることに
大人のひとりとして
謝らなければならない

せめてと
福島で賑わう
屋内遊技施設に
喜びと哀しみが
入り雑じる

今さらな気もする
温暖化ガス排出削減25%撤回を
国連に通知するという

なんのための
目標設定か
よく分からなくなる

現実の状況から
推計するだけなら
ただの集計にすぎない

25%目標は
社会の仕組みを変える
きっかけだったはずである

原子力に頼る削減に
意味はない
今のグリーン電力を
本物にしなければならない

いつどこで
どのくらいの規模の地震が
発生するか
分からない

それでも
発生リスクを
数字にしなければ
保険は成立しない

さらに
どのくらいの被害になり
廃棄物はどれだけ発生するか
最大値でしか
想定できず
準備は最低限しか
されないことが多い

市町村が策定する
災害廃棄物処理計画は
そんな不十分な情報から
つくられる

行政任せにしない
業界の役割は
かなり大きいと
改めて思う

自らが選択する経験と
思わぬ依頼や役割からする経験とがある

組織に属すれば
そういったことが多々ある

自分の人生にとって
どの経験が必要であり
意味があるかは
その時点では
計りようがない

しかし
自分の選択だけが
よい結果を生むわけではないことは
これまでの経験から
強く言える

左遷や役不足や
力不足だと思える役回りでも
きっと自分の力になっていると
意味付けしてみたい

全国で
メガソーラーの建設ラッシュ

土地の価格と設備の費用に対し
固定買い取り制度は
ホントに資本主義社会かと
疑う

空き地の活用や
地価を上げ
設備費用を下げ
何より
多様な電気供給を生む
一石何鳥にもなる

儲かるから
と何度も聞くが
ひとつに固執し集中すること事態が
リスキーだと
気づかなくてはならない

非効率でも
分散と複合が
安心なのだから