8月も終わりに近づきました。
あっという間に時間が過ぎていきます。
長女はまもなく3ヶ月。
生後2ヶ月でバウンサーから脱走を試み、
2ヶ月半で寝返りを始め、先日寝返りがえりも体得しました。
全身ぱつんぱつんのちぎりパン。
サイズ60のボディはすでにパァァンッ!と股のスナップが弾けます。
ほっぺは今にも落ちそうで、横綱級の貫禄。
そして女子なのに一重の細目(に産んでごめんw)。
長男はぱっちり二重の女子顔で、何でも平均〜やや遅めの小柄だったので、いっそう太ましく見えます。
横綱でも、親にしてみたら可愛いんだけど。
元気に育ってれば、それで良き哉良き哉。
【臍帯血の遺伝子検査結果】
長女が生後1ヶ月を過ぎた2020年7月半ば、
長男の経過観察外来に合わせて、国立がんセンターの遺伝子外来を受診しました。
出産した大学病院から送ってもらった臍帯血での遺伝子検査結果を聞くため。
本当は6月下旬に予約を入れていたけど、予定日をかなり超過したこともあり、
もはや急ぐこともないだろうと長男の外来日に合わせて日程を変えてもらっていました。
気持ちにはそのくらいの余裕があった。
ここまで、PGT-M、羊水検査で変異(専門用語ではバリアントと言います)なし、
生後3日目の眼底検査も異常なし。
RBの遺伝は完全に否定されており、もはやダメ押しの感がありました。
そして。
無事、「バリアントなし」と書かれた一枚の紙を頂けました。
変異の場所の説明や、通常とどこか違うか、といったDNA配列が書かれた難しい説明の紙はなし。
結果が1行しか書かれていない一枚の紙。
これが欲しくて。
欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて。
そのためだけに、いろいろな人に支えられてここまでやってきました。
私にも、RBではない子を持つことができたんだなぁと。
彼女はこの先、小さい(横綱だけどw)体への抗がん剤や手術や、
視力への不安や、
二次がんへの怯えや、
結婚妊娠出産への壁を、
気にする事なく生きていける。
大多数の人にとって当たり前でも、
それがどれだけ得難いことか。
あまりにも簡単に渡されたペラペラの紙に、
どれだけ私の気持ちが救われたか。
遺伝してしまった長男への罪滅ぼしとは違います。
何万回も言えるけど、長男を産んだことは一度も後悔していません。
でも、「遺伝していなかったら、普通の子たちと同じ視力を持たせてあげられたら」と思わない日はない。
障害への偏見とか、命の選別とかはどうでもよくて。
自分の子に、出来うる限りの可能性を与えてあげたい、ただそれだけです。
唯一、悔やまれるのは、
長女の出産が「国内の、現時点で正式な手続きにを経たものではない」こと。
つまり、現状唯一の承認機関である日産婦に申請、認可されたものではないこと。
もはや話のわからない日産婦なんて関係ない!
やりたい人は海外ででもアングラでもやればいい!
と言うことは簡単だけれど。
将来、長男や、一緒に病気の治療を頑張ってきた子たちや、
今後一定数は必ず産まれてくる同じRBの患者が、
同じ壁にぶつかり、悩むことが分かっている以上、
何が何でも、制度は変えてみせます。
お金を詰んで、動き回って情報を得られればこっそりできるよ!ではなく、
平等に、あまねく、情報と制度が提供され、
患者と家族が納得できる選択肢を選べるように。
コロナ禍の中、自分の出産に注力している間にも
周りは少しずつ、停滞したり変化したりしていますが、
日々に追われる自分への戒めとしても。
おかしいと思うなら変えるために動きたい。
責難は成事に非ず。
これまで支えてくれた人たちの未来に恩返しができるように、
少しずつまた始めようと思います。
国がんの遺伝子外来を初めて訪れたのは、2015年2月。
当時、今の自分の姿は全く想像していませんでしたが、
その間、いつ訪れても、変わらず朗らかに穏やかに丁寧に向き合ってくれた遺伝子外来のY先生。
大袈裟ですが、
この先生に出会ったあの日から5年で、
人生が大きく変わったなぁと思います。
日本ではまだ、遺伝カウンセリングは一般的ではないし、
遺伝専門医でも、考え方やアプローチの方法は様々で、悔しい思いをしたこともありました。
7月の受診の時、検査結果を聞き終えて、
「これでひとまず、私の役目は終わりましたかね」と、
いつも通りにこにこ、そして患者に深々と頭を下げて見送ってくれたY先生に
本当に、心から、感謝です。
蛇足ですが、
長女の遺伝子検査の費用は自費になります。
(RBの患者本人の遺伝子検査は保険適用になりましたが、患者家族は任意検査のため自費)
お値段3万円!!
夫と、
「やすいやすーい!!羊水検査の1/10」
と半笑い。
もはや感覚が飛んでて、ある意味幸せですw
【これからのこと】
同じ日、長男の診察後に、眼科の主治医に今後のことを相談しました。
(遺伝子外来は午後だったのでこの時点で結果は聞いてなかったけど、白前提で)
長女を出産した大学病院では、
退院時に、9月に再び眼底検査の予約を入れてくれていました。
長女に遺伝がなければ、国がんでは見てもらえないよね、と思ってはいましたが、
この日の遺伝子外来の診察で、長女の国がんの診察券ができたこともあり、
「長男の診察と一緒に、一度眼底検査してもらうことは可能か?」
と尋ねてみると、
「きょうだい児として診ることは別にできますよ」
とお返事を頂きました。
あら、まぁ!
それなら、やはり専門医である主治医に一度は見てもらいたい。
ということで、ひとまず9月に一度、国がんで眼底検査をしてもらえることになりました。
ただ、バリアントは遺伝子検査で否定されており、
どのくらいの頻度で受診するか、そもそも継続する必要性があるかは、また考えようと思います。
長男の治療と並行して書いてきた、
「4、2人目を考える」は、
次の眼底検査の記事と、かかった費用総額の記事でひとまず終わりかな、と思います。
私の経験が、誰しもに当てはまるわけではないけれど、
また、必ず誰もが成功するとも言えないけれど、
国内で、PGT-MでRBを遺伝させずに子を授かることができた、という実例を書き残せてよかったなと思います。
いつか、こんな不安定な個人ブログではなく、
患者が思い悩んで、あるいは軽い気持ちで、
「網膜芽細胞腫」「遺伝」
と検索した時に、
いろいろな選択肢があるよ、選ぶのはあなたたちだよ、ここに行けば情報を得られて、相談できるよ、と、公的な情報として、道が示されることを願っています。
そして、もう一つ、引っかかっているのは。
採卵したクリニックで凍結してある、残り一つの胚盤胞のこと。
17個検査に出した胚盤胞のうち、
PGTMでRBの遺伝なし、PGTAで染色体異常なしとされた胚は2つのみ。
(アメンバー記事です、そのうち解除します)
2つのうち、いわゆるグレードの良い方を移植し、今の長女がいるわけですが。
残された1つをどうするか。
私も夫も、自分たちが二人兄弟のため、
(遺伝云々抜きで)子供はとりあえず二人かなぁと漠然と考えていました。
転勤族のフルタイム共働き、しかも定時があってないような職種で、
二人育てるのすらおそらくバタバタになるだろうと想像できる今。
キャパシティ的に、正直、三人目はあまり現実的ではないのだけれど。
じゃあ、これでおしまい。
と言い切れない、わだかまりが心にあります。
ぶっちゃけ、5個凍結してたら、すっぱり決められたかもしれません。
5人はもう産めない、さすがに。
年も四十路が近づいてきて、
今回の出産も思わぬトラブルで(大袈裟w)出産ってやはり命がけなんだなぁと思ったし、
今後は二次がんのこともあり、
子供のためにも、自分の体を丁寧に扱い、長生きさせることも考えていかなきゃいけない年です。
体力も衰えてきてるし、加齢が…。
PGTMで使った分の貯金を…。
自分で書いてて悲しくなってきた、つらみ。
でもやっぱり、今はどちらも決断できません。
2つのうちの片方が、今、腕にずっしりと重く、日に日に育っているからなおさら。
ぎりぎり産めない年齢ではないから、複雑です。
どっちみち、まだ生理も再開しておらず、
長女はなんだかんだ完母で育てているので、
保留にしています。
ゆっくり、考えようと思います。
(我が家のRB遺伝してない卵は一重ちゃんなのかしら、とか、どうでもいいことは呑気に考えてます)