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3、長男の治療経過
これまでの過程はこちら
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少し間が空いてしまいましたが、
5行でおさらい。
2016年4月~2017年3月。
生後12日目からの抗がん剤治療(VEC2クール)+局所治療(手術)10回を経て左目は経過観察に。
右目は視神経に腫瘍が被ってきており主治医に摘出を勧められました。
諦めきれず放射線治療を検討していた4月、
眼球温存のための陽子線治療(温存のための照射はほぼ国内初)を提案されました。
検査入院&時間稼ぎの動注後の5月、
なんとか陽子線治療にこぎ着けました。
ありゃ、7行(笑)
●国がん再々々々々外来と方針決定。
2017年5月。
筑波の検査入院で陽子線を考え直して、と言われた後、
再度国がんの外来で相談し、主治医の話を参考に陽子線照射を決断。
翌日筑波にその旨を連絡しました。
そして、さらにその次の日の5月18日。
国がんの外来でした(笑)
4月末の動注のフォローアップという意味で入れていただいていた予定でしたが、
16日の外来で診てもらっていたので、キャンセルしようと申告をしたのですが、
「別に来てもらって構わない」と主治医。
毎日不安な頃でもあったので断る理由もなく、
お言葉に甘えて再受診。
16日に見てもらわなかった、経過観察中の左目を見てもらいました。
特に異常なしで一安心。
おそらく、この間にも筑波と国ガンでやり取りをしてくださっていて、
陽子線の照射は予定通りの日程でできることになりました。
その間、例えば外泊などの際や、必要に応じて国ガンの受診が必要かを尋ねると、
筑波の眼科で診てもらうのであれば基本は不要。
仮に左眼が再発したとか、右目の様子がおかしいということがあれば考えなくもないが、
陽子線(放射線)は当て始めたら最後まで続けないと意味がない。
中断する事情がある=摘出と思ってください、ということも言われました。
●筑波大入院
入院前日は、ずいぶん前から友人家族と乳児向け音楽ワークショップに申し込んでいました。
行くか迷いましたが、入院したらしばらく外出はできなくなるので、短時間と割り切って出掛けました。
手を繋いでひたすら歩きたいお年頃。楽しそうな様子の写真が残っています。
午後に急いで荷物を病院に発送。家はぐちゃぐちゃ。
これからが治療本番だというのに、私もぐったり(笑)
そんな混沌とした状態でしたが、
2017年5月22日。
摘出を勧められてから約2ヶ月後、
眼球温存を目的とした陽子線治療のため筑波大付属病院に入院しました。
●入院初日/MRIと初めての一人寝。
国がん以外で、初めて別の病院に入院。
一番の違いは、ベッド脇に簡易ベッドを置いた24時間付き添いではなく、
夜間は完全看護で親は帰宅か別室で就寝となること。
ただし、面会時間の制限はなく、極端な話、深夜もベッドサイドにいることは可能でした。
我が家からの距離は高速で片道2時間ほどの距離でしたが、なんせ私は免許がない。
母子分離で夜を過ごすのはまさに生まれて初めてだったこともあり、
病院の別棟の一室を借り、一緒に入院生活となりました。
別棟の部屋は空室がある場合、1カ月前後であれば1日1500円で借りられました。
4月末に国がんでMRIを撮ってはいましたが、慎重を期して再度撮影することに。
朝は8時以降禁食でした。
MRI撮影前に点滴を入れたまではよかったものの。
「入院中、点滴は常に保持」
と聞いて驚愕する私|д꒪ͧ)…
国がんで放射線治療をしていた歩けるくらいの幼児の子たちは、
ヘパリン(抗凝固剤)で点滴の挿入部分をロックしてカテーテル部分を外して過ごしている場合が多かったので、
長男も、片手は包帯ぐるぐるだけど自由に歩き回れる、という状態を想定していました。
歩くのが遅かった長男。
当時は手をつないでようやくよちよち歩けるかどうか、くらいの1歳児。
点滴台押しながらラインさばきながら移動とか、無理!
と、初日から若干気が遠のきました。
14時からMRI、CTなどを一通りこなし、
16時ごろに鎮静から目覚めた長男。
用意していたベビーフードをモリモリ食べ、さらに18時過ぎの病院の夕食もモリモリ完食。
21時ごろ、割とすんなり就寝。
眠ったのを見届けて、人生で初めて離れて眠ることにちょっぴりの寂しさとかなりのワクワクを感じながら別棟へ引き上げました。
長男は1歳半くらいまでひたすら寝つきが悪く、夜も数回起きることがよくありました。
離乳食の食べがよく、この頃はほとんど断乳が済んでいましたが、奥の手として乳を出さなくもない、という感じ(笑)
23時ごろ、心配で一度様子を見に行くと、
案の定、ベビーカーに乗せられ、ナースステーションで泣き疲れた様子で寝落ちしていました。
看護師さんにお礼を言って回収。
再びベッドに格納して寝たところで私も再び引き上げました。
完全看護の病院で、夜間、親がいない病室を眺めるのも初めてでした。
ナースステーションの片隅(眠れなくてベッドごと運ばれてきた)で、おもちゃを握ったまま土下座の格好で寝ている子(笑)
夜中に眠れずベッドサイドのDVDを眺めている子。
看護師さんの目が行き届くように仕切りのカーテンは開けられていることも多く、
また、陽子線で長期入院している小児がんの子も多かったため、
一緒に治療をした子たちのことは本当によく覚えています。
さすがに、1歳2歳の子たちは日中親が必ずいましたが、
少し大きな子たちは、家が通える距離にあったり、親が忙しくて来られなかったり、日中親が来られない子もいたり。
治療の目的も、家庭の事情も様々でした。
看護師さんや日中常駐の保育士さんや、他の子のお母さんに甘えてみたり、
お気に入りのDVDを何十回も繰り返していたり。
幼いながら、それぞれ色々な方法で、心の中でじっと耐えて、闘っていました。
病気は、誰のせいでもないのになぁ、と、やるせない気持ちでいっぱいでした。
負担がかかる長期入院の治療を選んだのは私。
陽子線が終わるまで、私が長男にできることは、
苦痛を1つでも取り除くこと、
泣いている時間を1秒でも減らして、
安心して笑っている時間を1秒でも増やすこと。
初日の日記には、そう書いてあります。