ことのはの夏休み3 〜富士登山。
前回のブログのつづきです。
富士山頂に到着した僕は、
そのまま真っ直ぐ浅間大社奥宮にお参りして、
神様にご挨拶とお礼を申し上げました。
はぁ〜〜〜〜〜〜〜。:゜(人*´∀`)゜:。*
ようやく参拝することができた奥宮。
実は4年前の初登頂では、
閉山間際の9月に登ったため、
その門は固く閉ざされていたのです。
登頂の興奮と達成感冷めやらぬ僕は、
万感の想いで手を合わせました。
離れ難いほどに有り難くて、何度も、何度も。
友人のちょびさんが淹れてくれた
コーヒーを飲みながら、しばし休憩した後、
日本で一番高い場所、剣ヶ峰を目指しました。
奥宮から剣ヶ峰へと至る道は、
砂地で傾斜も急ですが、足取りも軽やかに。
ドーパミン万歳!!(笑)
ご覧の通り、剣ヶ峰へと続く階段には、
記念撮影を待つ長い行列ができていました。
ここまで来たら、日本最高峰の頂きで
写真を撮らずに帰る訳にはいきませんからね。
という訳で、僕も1枚!!
シュワッチ!!
なぜこのポーズを選んだのかは自分でも謎です(笑)
そして親切な方のご厚意で、
3人揃っての記念撮影もさせていただきました。
…と、その時です。
「あっ!!!」(*゚ο゚)
視線の先に不思議な形をした雲がありました。
それはまるで大きく胸の開いたドレスに
身を包んだグラマラスなネズミのマダム。
左手を宙に差し出して、
ようこそ、富士山頂へ。
さあ、今こそ貴方の感性を解き放ちなさい。
そう言って、僕たちを
お鉢巡りへと誘ってくれているかのようです。
ところで富士山頂の火口の底は、
大内院(幽宮)と呼ばれ、
その深さは八合目にまで達するのだそうです。
大自然が創るその圧倒的なスケールには、
ただただ驚かされるばかりですが、
実は4年前、僕が富士山頂から感じたのは、
『霊性の衰退・荒廃』ということでした。
霊山と呼ばれる山にしては、
あまりにも恵みや潤いを感じなかったからです。
「日本一高く、美しい山の霊性は、
すでに失われてしまったのだろうか…。」
そんなことをこれまで密かに思ってきました。
だからこそ4年という歳月を経て、
信仰や愛、見えない存在たちの想いが
少しずつわかり始めてきた今の自分の目に、
富士山頂がどんなふうに映るのか、
正直、期待と不安がありました。
けれど、そんな僕にネズミのマダムは、
感性を解き放って、よくご覧なさい。
そんなふうに言ってくれた気がしたのです。
自然と感謝が溢れてきて、
意識は第八感へと向かっていきました。
花火大会 / 映画『天気の子』より
PCからご覧いただいている方は、
ぜひ再生ボタンを押してお楽しみください。
という訳で、僕たちはお鉢の周りを歩く!!
一周3キロの道のりを歩く!!
そうして僕の心がどうしようもなく
惹き付けられる場所で立ち止まっては、
なんとかご神意を汲み取ろうと、
第八感に意識を集中していきました。
ここからご紹介するのは、お鉢巡りの中で
とりわけ僕の心が惹き付けられた場所たちです。
遠く切り立った崖の上に意思を感じます。
富士山頂白山岳の“割れ岩”と呼ばれる部分です。
僕の目には四角く切り出された石と
空を見上げるワニに見えました。
しばらくじーっと見ていたのですが、
不思議とナイル川とピラミッドを連想しました。
こちらは巨大なオオサンショウウオ。
こっちを向いているような気がして、
お話しできるかな?とも思いましたが、
……できませんでした。(^▽^;)
そしてこちらはスフィンクス。
余りに精悍で畏敬の念すら感じる存在です。
もしや、四方の方角を司る聖獣・四神が
富士山頂を守護しているのだろうか…。
そんな仮説が僕の脳裏を過ぎった時、
目の前に驚くほど神聖な光景が広がっていました。
はぁ〜〜〜〜〜〜〜。:゜(人*´∀`)゜:。*
4年前には感じなかった富士山の霊性を、
今この場所ではっきりと感じることができます。
キラキラと輝いていて、
神聖な潤いもちゃんと感じるのです。
ここが富士山の霊性の源泉だ!!と思えました。
きっとちょびさんも、ラビくんも、
同じようにその霊性を感じたのだと思います。
ここではみんな、心を込めてお参りしました。
この場所に佇むことしばし。すると…。
大きな夏雲の中から、
ヌ〜〜〜っ!とカメのような頭が伸びて来ました。
「っ!!!」Σ(゚∀゚ノ)ノ
理由など自分にもわかりません。
ただ瞬間的に富士山の神様だと思いました。
と、そこでこんなメッセージが降りてきたんです。
みんな、恵みの雨を待っている、と。
思えば富士山は日本人の心でもありますから、
富士山が痩せて荒廃することは、
すなわち日本人の心の荒廃をも
意味するように思うのです。
緑のない砂漠のような富士山頂の浅間大社奥宮で、
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
が御祭神として祀られていることの意味も
なんだかわかるような気がしました。
富士山の霊性に触れ、
神様や見えない存在たちの想いに触れて、
豊かな富士山、豊かな日本人の心のために、
自分に一体、何ができるだろうか。
そんなことを思いながら、空を仰いだ時…。
僕の頭上には燦々と輝く太陽と
龍神の姿がありました。
RADWIMPS / 大丈夫
稲荷と龍神。天照と豊受。
今回の富士登山で僕は、
何か壮大な自分の役割のようなものに
触れたような、触れなかったような…。
言葉にならない想いと溢れる感謝を胸に、
下山しようとする僕たちの前に、
ふたたび富士山の神様は、
厚い雲からヌ〜〜〜〜〜っ!と顔を出して、
(お前が)感じたことを皆に伝えてくれよ。
そう言って、見送ってくださいました。
今も僕の中には言葉にならない、
でもとても大切な想いがたくさんあります。
その一つ一つを言葉に落とし込んで、
心を込めて今はただ書いていくしかないですよね。
追伸。
このブログは一昨日から、
コツコツと書いていたのですが、
今日の昼休みに友人とLINEをしている時、
ふっと見上げた先に、なんと!!
富士山の神様がいらっしゃっていました。
「っ!!!」 Σ(゚◇゚;)
街中だと余計にその大きさに驚かされて、
一瞬、言葉を失ったのですが、
気を取り直してご挨拶をすると、
ほんの数秒でサッと帰って行かれました。
今日中に書き上げなさいよ。
ということだった気がして、
今日は早めに仕事を切り上げて、
なんとか書き上げましたよ〜。o(*'▽'*)/☆゚
偶然にも今日は富士山の閉山日でした。
ことのはの夏休み、もう少しつづきます!!