『Mystic Journey2・長崎編』。
2日目の早朝、抜けるような青空の元、
僕は浦上天主堂の前に立っていました。
主日ミサに参列して、神様に祈りを捧げるためです。
長崎に住んでいたことのある友人のドクターも、
プロテスタントの職場の友人も、
カトリック教徒ではない僕を受け入れてくださり、
真摯な気持ちで祈りを捧げることができる教会として、
浦上天主堂を勧めてくれていました。
また、社会学者でスピリチュアルの
研究もしている友人のはちみつ君からは
こんな問い掛けをしてもらっていました。
広島と長崎、原爆に対する
受け止め方の違いに着目してみてください。
信仰というものが見えてきますよ、と。
江戸時代、激しい宗教弾圧が続く中、
秘かに信仰を守り続けた信徒達によって、
東洋一と云われた大聖堂が建立されました。
それは苦しみに耐え抜いて、自由を勝ち得た喜び、
信徒としての誇りの象徴だったのだろうと思います。
ところが、そのわずか20年後、原爆が投下されます。
爆心地から500mの位置にある
この浦上天主堂もまた一部を除いて灰燼と帰しました。
教会の敷地内には今もその面影が残っています。
しかし、今、僕が見上げる浦上天主堂は、
とても爽やかな佇まいで、
一介の旅人である自分にも
その門戸を開いてくださっているのです。
カトリック信徒だけでなく、多くの人々が、
その祈りの力によって救われたことは想像に容易く、
これまでこの教会が果たしてきた
役割の尊さ、意味深さを身に染みて感じた瞬間でした。
ミサが始まるまでの間、
神様に感謝の祈りを捧げました。
ステンドグラスから差し込む日差しは、
僕から時間という概念を忘れさせてしまうほどに美しく、
心地よい安らぎを覚えました。
少しして、歌のリハーサルが行われた後、
(ここで歌詞とメロディを覚えることができました。)
いよいよミサが始まりました。
そのミサの中で、『答唱詩編』という歌唱がありました。
朗読台に立つ先唱者の詩編パートの独唱に続いて、
答唱パートを参列者全員で合唱することを
交互に繰り返していくものです。
答唱詩編
リハーサルの時から、ピアノの旋律に、
僕はある種の懐かしさを覚えていたのですが、
響くような低い声で歌われる方、裏声で歌われる方。
皆それぞれに心の籠った歌い方をされていて、
その高らかな歌声に合わせて、
僕も大きな声を出して歌いました。
しあわせな人、神をおそれ、主の道を歩む者
すると、どうでしょう。
教会に大きな大きな祈りの力が生まれるのです。
それに共鳴するようにして、
心に愛が満ちてきて、
満ち溢れた愛は、自然と涙となって
僕の目からこぼれ落ちました。
涙で思わず歌声が
上ずってしまいそうになったその瞬間、
思い出したのです。
いつかの自分にとって、
歌は神様への捧げものであり、
歌は神様からの贈り物だったことを。
僕はいつも神様を愛し、
神様に愛されて、ともに生きていたことを。
このブログでの僕の歌に対する拘りは、
そのことを思い出したかったからなのかもしれません。
神様は僕に過去生の大切な記憶を
呼び覚ましてくださいました。
映画『恋する神父』より「彼女を与えてください」
ミサが終わって、教会を出た僕の心には、
愛と希望が満ち溢れていて、
世界はまるで違って見えました。
信仰とはなんと尊いものでしょうか。(  ̄ー ̄)
新しい心で見る長崎の空の青さ、
平和公園の花の美しさに、
僕は、友人のはちみつ君が問い掛けてくれた
その答えを見つけたような気がしました。
“どんな時も僕は神様とともに生きている。”
そのことを、もう二度と忘れないように。
しあわせな人、神をおそれ、主の道を歩む者
僕は今日も、このフレーズを口ずさんでいます。
このブログを読んでくださるすべての方が
元気になりますように!!(◍´ಲ`◍)
『Mystic Journey2・長崎編』つづきます!