「ぼくのゾンビ・ライフ」 S・Gブラウン著
交通事故から目覚めたアンディは
自分がゾンビになっていることに気づく
妻、娘と離れ、そのまま両親と同居することになり、ゾンビになった自分を受け入れはじめる
なんとか人間たちとも共存しようとするが…。
全編ゾンビ主観で綴られる、脳のあるリビング・デッドたちの人生と戦い、そして恋
作中のアンデッド(つまりはゾンビ)としての掟の一部をこう紹介している
①人間を混乱させてはいけない
②門限が過ぎたら外出してはいけない
③死体に対する性愛を行ってはいけない
④隣人の肉を切望してはいけない
⑤自分のご主人様である保護者を敬え
⑥市民としての不服従行為を慎む
つまりは、この作品は単なるゾンビものの物語
というよりも、アメリカに現存する人種差別に対する隠喩物語ということだと思います
考えさせられるところも随所にあり
必読に値する作品だと思います
いま勤めている会社にひとりのアイヌ人女性がいます
彼女は社内でも公言しています
彼女はスタイルもよく、美人で、クレバーで、常にアイディアと知恵を湯水のように湧き出す
優秀な社員のひとりです
いま自分が特に障害やトラブルもなく、スムーズに仕事に専念できるのも、彼女のおかげと言っても過言ではありません
社内にいるときはいつも黒縁の眼鏡を掛けているので、独特のちょっと濃いめの顔立ちもあって、歌手のアンジェラ・アキに似ています
会社の飲み会で彼女が酔っぱらうと
『わたしはアイヌだから…』と決まって言い出し
他の社員たちを閉口させます
彼女から直接聞いたわけではありませんが
小さい頃からアイヌであることによって
差別感や疎外感、イジメなんかにもあってきたのかもしれません
日本の少数民族であったとしても
彼女の優秀さにはなんら影響されません
むしろ彼女の魅力にこちらが影響を受けているくらいです
さらに彼女がシングルマザーであることで、より強く自分を卑下する気持ちがあるのかもしれません
私たち日本人の『日本は単一民族である』という多数派の無知と
『シングルマザーだからね…』という暗に能力が劣るといった意識が
彼女の本音として酒の席での発言になるのかもしれません
小学生の頃
実家が小さな商店を営んでいました
生活雑貨や文房具に玩具、釣具なんかも扱っていました
両親は共働きだったので、祖父が亡くなった後を祖母が引き継いでお店を切り盛りしていました
小さな田舎街ですから、ちょっとした変化や違和感に市民は敏感に反応します
畑が広がる街の郊外に
とあるアイヌ人家族が暮らしていました
いつも幼稚園児くらいの息子と小学校低学年くらいの娘のふたりをリヤカーに乗せて、母親が引っ張って街を歩いていました
当然のように小さな街では誰もが知ることとなり
知ってはいても言葉にはしない、暗黙のタブー的な存在でもありました
ある日の夕方
両親は仕事でまだ帰宅せず、祖母が買い物に出掛け、中学生の兄がまだ部活から帰らなく、ひとりで店番をしていると
あのリヤカーにいつも乗っているアイヌの娘が店へやって来ました
彼女の後ろには、申し訳なさそうな母親と店内を興味深く、キョロキョロしている息子がいました
『こ…にょ…やっしゃいと…え…んっ…ぴっ…つ…のー……と』
娘は土の着いたキャベツを両手で掲げて
何かを自分に言っていました
自分はまだ小学校四年生だったと思います
戸惑ったのと、かなりの恐怖で、どうしていいかわかりませんでした
するとタイミングよく、祖母が買い物から帰ってきました
『あー、はいはい、鉛筆とノートね』
と、いつものことのように慣れきった様子で
土の着いたキャベツ1個と鉛筆2本ノート1冊とを
物々交換していました
まだ幼い小学生には衝撃的事件でした
泥まみれで汚れた衣服を着ている、ちょっと臭いのする3人のアイヌの母子たち
うまく言葉が話せない少女
店内を歩き回る小さな男の子
申し訳なさそうに佇む無言の母親
両手で掲げ持つ土が着いたままのキャベツに
慣れた様子で接する祖母
生涯忘れることはないでしょう
