旧暦1018年10月16日の夜に
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思えば」
藤原道長が栄華を誇ったとされている詩が詠まれた。
それから数えきれない夜を超えた2025年12月5日に、道長が望月の詩を詠んだ月の月に限りなく似ている月がこの日だった。
そんな望月を鑑賞しようと、見晴らしの良い公園に向かうことにした。
バイトが終わりスーパーで団子を買う。
スーパーのパートさんに、
「月が綺麗ですね」
と言ってみたりする。
パートさんは遠回しにいきなり告白されたと思うが
今宵の月を見たらきっと本当に月が綺麗な日だと思うだろう。
お店を出ると、吐息が月を霞ませる雲のように、白くほどける。
公園に着き、団子を食べながら考える。
藤原道長はこの綺麗な望月を宴で詠い、藤原実資は返歌せず唱和したのかと思い、私が1000年もの時を超え、道長に返歌しようと思った。
「この世をば 風に揺らる身 望月の ほとりに光る 幾千の星」
この世では風に揺れるような弱い私は、月の側で光る幾千の星の一つに過ぎないという想いを込めた。
月も綺麗だが、その月の隣で密かに輝く星もとても綺麗だった。
団子をもっと食べたい気分だったが、友人とこの月を見たいと思い、
「月でも見ながら団子を食べない?」
とLINEを送る。
「風情を感じる」
と、30分後に公園に来てくれた。
団子を渡すと、寒いと思ったからとコンポタージュを買ってきてくれていた。そんな行動に温かい気持ちになる。
月を見ながら、藤原道長の詩を説明し、その日の月に限りなく近いことを伝え、一般的な解釈と、私の解釈を合わせて紹介した。
光る君への、望月の詩のシーンを鑑賞し、たわいも無い話をした。月に照らされながら。
突然、過去の私から一通のメールが届いた。
拝啓。過去の私へ。
2025年12月5日に綺麗な望月を見た貴方たちは
帰り際に、1つの約束をしましたね。
18年後の2043年11月21日に、道長が詠んだ望月の詩の月が再度見れる日に、またここで会おうと。
その時にまた、私がお団子を持っていき、友人はコンポタージュを持ってくる約束をして別れましたね。
その約束は残念ながら果たされませんでした。
どうやら彼はそんな約束忘れたっぽいです。
彼になぜ来ないのか聞きたいのですが、彼の連絡先を未来の私は知らず、もう一度会いたいけれど会えません。
つい5分前に80歳を迎える私から、メールが来ました。
彼に会えず寿命を終えようとしているそうです。
彼は私との約束はきっと忘れていることだと思いますが、きっと今日の月に照らされ、楽しく生きていることだと思います。
そして彼は、今宵の月は綺麗と思っていることでしょう。
変わるのは老いてく身体だけで、18年前の月のように、私の心は何一つ変わりません。
幼い頃に太陽や月が 丸じゃなくて、四角だったら、三角だったら、バツだったら。
もし月が星型になったら、それは月なのか星なのか。色んなことを考えていましたね。今も幼い頃と同じようなことばっか考えています。
変わらない私に安心しています。
最後に、今宵の月も、とても綺麗ですよ。
18年後の私より。