私の人生史における、記念日でもあろう。

明日は、社会人としての初日である。

今まで学生として、怠けた生活を送っていた私が、いきなり社会という大きな海に放り込まれる。


社会に出て、自分は何をしたいのだろうか

お金を得て、金銭的な余裕が欲しいと思ったこともない。ただただ目の前にある小さな幸せを噛み締めたい。

毎日ご飯を食べて、太陽を浴びて、生きていることを実感出来ればそれだけで幸せなのに。

その幸せを、それは幸せではないと社会が私に言ってくるのだろう。

私は幸せのハードルをあげることを恐れている。

小さな幸せを感受できる心さえあれば他に何もいらないと思い続けたい。

野球部でノックの後に飲む水が、いちばん美味いように、幸せをより噛み締める心が育つ海だろう。

そんな心に、過剰な幸せを浴びると、水を飲むことに幸福と思えなくなりそうだ。

そもそも幸せとはなんなのだろうか。明日を生きることを楽しみに待つことなのだろうか。何を持って私は幸せだと決めるのだろうか。

幸せという一律した線引きがない限り、人それぞれなのである。

私は幸せを感じられる心を持つことが幸せだと思い込んでいる。

お金を持つということは、その心を奪ってるかもしれない。お金を持つことへの恐怖心である。


と、コメダ珈琲で考え込んでいる。

目の前に座る男性の貧乏ゆすりが、コメダに流れるゆったりとした空間を壊している。

水がぶつからない静かな池に、石を投げ波を起こされているようだ。

ただこの人が、明日社会人になるとしたらと考える。コメダという空間から社会という空間に枠を広げ、その貧乏揺すりはきっと社会なのだろう。

そう思うと、その貧乏揺すりはとても怖い。

実はそんなことを考えている暇も、この文章を書いてる暇もない。明日、入社式で3分間スピーチしなければならない。何を言おうか何一つ考えていない。

私の幸福論を語る訳にも行かない、社会に対して希望を見いだせていない。嘘をつくしかないのだろうか。社会人初日、第一声が嘘とは、私の母も悲しむだろう。


通りたくない門を出る。そこからいえる景色はきっと湘南の海より汚れていることだろう。