『愛は勝つ?』
女子トイレの個室内で、便座に座った光恵がつぶやく。
『勝つと思います。』
『誰に何をしてるのか、アナタ分かってるわね?』
光恵は一転して吹っ切れた表情に変わった。
杏は答えなかった。
『どうしても?』
光恵の質問攻めが始まった。
質問の意図が良く分からなかったが、杏なりに考えた。
『どうしても・・・です。淳は私が、私が守ります。』
杏はそう言い終えると唇を噛んだ。
照明が行き届いていない端っこの薄暗い個室の中で
2人の会話は続いた。
2人とも小さな声だった。
光恵は相変わらず便座に座り、杏は個室の壁に寄りかかるようにして立っていた。
『愛さえあれば・・・か。』
光恵が独り言のように呟く。20歳の女は犬のような可愛い表情で目を細め、
少し眉間にしわを寄せた。
『はい。』
少し間をおいて杏が相槌をうった。
『愛さえあれば何なの?』
『えっ?・・・。』
『何なのよ?』
『鬼に金棒です。』
『ふーん。』
光恵は少し笑みを浮かべた。
愛想笑いのような形になったが、杏もつられて少し笑った。
『私も、これがあれば鬼に金棒なんだ。』
光恵が携帯を再び持ち、すぐにボタンを押し始めた。
実に携帯の似合う長く綺麗な指だ。
これ見よがしに携帯を耳にあてた。
同時にトイレのレバーが引かれ、杏の口元が動いた。
杏は水の音で電話を妨害したかった。
『野見山をよんでください。』
杏は口パクで連呼した。
水の音が激しくなろうが、光恵は携帯を離さない。
光恵の話はまだ核心に迫っていない。
何の連絡を誰にしているのかが分からない。
『野見山を呼んで下さい。』
再度口パクしたが、光恵はとりあわない。
『あっ、うん、全然大丈夫。』
光恵が電話相手に言ったその瞬間だった。
杏はトイレのレバーを足で踏んずけながらポケットをまさぐり
タオルをほどくと光恵にまたがるような体勢で拳銃を突きつけた。
光恵の声が止み、顔色が変わった。
杏は目を大きく開き、オデコに汗をかきながら銃を光恵の顔に接触させた。
『野見山呼べよ。』
杏は声に出してそう言った。
杏は再びレバーを足で踏んずけた。
水は再び、勢い良く流れた。
何万回と聞いてきたこの水音は相変わらずのリズムであり、
混乱している2人は、暗いトンネルの幾分先にある、良いか悪いかも分からぬ、未知の世界からの光を
互いに見つけていた。