生きている側と死んだ側 | 晴れのち曇り、時々雷雨~息子との日々、時々毒吐き

晴れのち曇り、時々雷雨~息子との日々、時々毒吐き

息子の成長を綴っていましたが、令和元年5月8日に突然父が旅立ってしまい…。言葉も交わせなかった後悔、未だに信じられない気持ちでいること…。私の全てが父へと向かう今を綴ります。

少し前の週末、

3人で土曜夜店に行った。





そんな所へ行く気力も体力も無い私は、

季節のイベントもスルーして、

ひっそりと生活しているダメな母親。





1~2回は行った夜店の記憶も無い息子は、

珍しくとても行きたがった。




どうやら、サッカーのチームメイトが

その話をしていたらしい。




現地でバッタリ会うことを楽しみにしていて、

しつこい息子が可愛く思えてきた。




よし。行ってみようか。


重い腰を上げた。




うちわを持って、駅前まで車を走らせた。




いつもと違うことをするだけで、

何だかテンションが上がる。




コロナ禍ということもあり、

久し振りの開催なのだろうか。




とにかく黒山の人だった。




お友達にバッタリ会えることも当然無かったけれど、

かき氷と冷やし胡瓜をチョイスした

安上がりな息子は満足そうだった。





夜の運転は苦手。




通った道は、父が勤めていた製鉄所の沿い。



そこを左折し、左手高台にあるのは、

父が眠るお墓。




職場を一望出来る。




『お墓参り行く?』なんて、

冗談が通じない主人が乗ってるから

言わなかった。




夜の8時近く、お墓の横を走り抜けながら、

悲しみと申し訳無いような気持ちとが

入り交じった。






息子に楽しいことを経験させてくれたのは、

いつもおじいちゃん、おばあちゃんだった。




町内のお祭りの出店では、

何だって買ってくれたし、

きっと、息子もそっちの記憶はしっかり残っているだろう。





ヨーヨーのような形状で、

手の平でバチンと叩くとピカピカ光る

ゴム製の人形。




買って貰ったのに、

あれが怖いと号泣したヘンな子だった。






夏らしい、楽しいことをして来たよ。




ごめんなさい…。


お父さんの役割りなのに…。




『せいせいするわ』と、

可愛げがないことを言ってそうだけど、


どうしても謝りたくなる。






生きている側は、

楽しいことも出来る代わりに、


辛く苦しいことも経験する。





死んでしまいたいと、

時に思いながら。





死んだ側のお父さんは、

何を思っているのだろう。




お母さんや旦那に

精神的に苦しめられて、


親らしいことも、

なかなかしてあげられず、


常にヘトヘトな私を、


空でどう思って見ているのだろう。




何かもう、私のことなんて

見てくれていない気がする。





サッカーなんて、

お父さんを差し置いて、

応援したらいけない気持ちが

どうしても胸の真ん中にある。