私はきっと、一生悶々としたものを抱えながら
生きていくのです。
愛読している、
お互いがお互いを思い遣る
ほのぼのご夫婦のブログ。
子供の居ない奥様のブログ。
登場する旦那様は穏やかで優しい。
幾つになっても、お父さんお母さんが大好きな
人のブログには、
常識あるご両親が素敵に描かれている。
毎日読んで、必ず『いいね』を押すけれど
時々ふと、嫌気がさす。
自分の人生に。
ブログもいいけど、
私は今、Twitterにハマッている。
お手軽なのがいい。
春馬くんの真相を追求したい気持ちはある。
でも、何だか今は苦しくて、
Twitterでお手軽に情報を得ることから
距離を置いている。
ハマッているのは、全く関係ないカテゴリー。
とても癒される。
そこで知り合った人の中にも、
素敵に人生を満喫している人がいっぱいで。
私って、何なんだろう…と思う。
弟夫婦が両親と絶縁宣言をした
約9年前。
気が狂いそうになりながら、
どうにかしなければと、気持ちだけは必死だった。
他力本願な私が、途中SOSを発信した相手が、
関東地方に住む母の姉だった。
幼い頃に両親を亡くした母は末っ子で、
歳の離れた兄や姉達に可愛がられていた。
叔母さんは、私の話を驚きながら真剣に聞いてはくれたが、親身にはなってくれなかった。
当たり障りが無く、ただ聞いてくれただけだった。
『聞いてくれるだけでいいから』
当然ながら、そう前置きして話し始めたのだけれど。
叔母さんはお嫁さんと同居している。
だから苦労なり、不満なりがあるだろうと
相談相手に選んだのかもしれなかったが、
実際のところはそんなことは全く無い…と。
有ったとしても、これからお世話になるわけだから…と。
至極全うなお話だった。
母の近所の親友も、
ご主人を亡くしていて、
母を支えてくれている。
その方には、子供が5人もいて、
孫も沢山。
全員が度々揃う仲良し家族。
きっと、お母さんが愛のある素晴らしい人なのだろうと思っている。
その人の他の何を知っているわけではないけれど、
揉め事等無いような気がしてならない。
気が利かない不出来な嫁に、
小言も仕舞い込んでくれる姑。
母や嫁や弟や旦那に振り回されるのは、
私だけなんだ…と、
あの時叔母さんへ電話した時の緊張と共に
何かある度に思い出してきた。
また少しぶり返してきた嫌な想い。
今朝の母の言葉が引き金になって。
心がざわざわと恐怖に支配される。
私の口をついて出たのは、
ここには載せられないような言葉。
昨日、久しぶりに悪夢を見た。
内容は覚えていないけど、
大きな声で叫んだ記憶がハッキリとある。
起きた瞬間に、
『あっ、また、私、叫んだ…よね?』と思った。
多分、雄叫びではなく、
何か暴言を吐いた。
昨日の出来事から、
今日の母を予知出来ていたから、
この夢は予知無だったのだろう。
誰に対しての暴言だったのか。
私をこんな気持ちにさせる全ての人への
暴言。
一生懸命頑張っているのに。
仕事だって、子育てだって。
家事だって、家計管理だって。
家計が決して潤ってなどいなくて、
お金に関しては苦労や不安が絶えない。
それでも頑張っている。
生き物を飼うことだって普通のことだけど、
パートナーは我れ関せずだと、
癒しよりも苦労や虚しさが上回る。
でも『命』だからと身を粉にして頑張ってお世話する。
母の愛は重い。
旦那の愛は軽い。
父の愛は大きかったが、
絶対的存在の父が私達を狂わせてきた。
父と違う旦那が、母は憎らしい。
父と同じ息子(弟)が、母は誇らしい。
父に似ている孫(息子)を、母は溺愛し、
親に(私達夫婦)に似なくて良かったね…と
今朝言われた。
昨日、久しぶりに顔を合わせた旦那のことを
一日経って、やはり言わずにはいられない母だった。
小言や愚痴の雰囲気ではない。
心底嫌う表情と言葉。
会う度にこれが繰り返されるのだろうな…。
『そんなこと、大したことじゃないじゃない』と笑われるか、
『それは異常ね』と思われるか分からないし、
こんなブログは自分にとって良くないことは
分かっている。
分かっているから、
ずっとブログから遠ざかっていた。
沢山ある理由の一つ。
書いたら止まらなくなる。
しかし、書くほどそれが続くわけではないのも
事実。
旦那と息子のサッカーの話をするのは楽しいし、
明日だってまた、仕事前に実家に立ち寄るのだろうし、
休日はそろそろ母の好きなリサイクルショップにでも連れて行ってあげようか…とも考えてもいるし。
それが、ご機嫌取りでもあることは、
胸の奥底にしまっている。
ただただ和気あいあいと、
和やかに、
支え合い、
損得等無く、
思い遣り、
無欲で、
楽しく家族でいたい。
その想いにそぐわないのは
誰なのか?
こんな人生にしたのは、誰のせいなのか?
去年の夏、旦那と大喧嘩した時に、
私は『あなたが怖い』と言った。
だけど、旦那にこう言い返された。
『怖いのはお母さんなんじゃないの?』と。
誰が私は怖いのか。
そればかり考えて生きてきた。