私の食べたいもの、最終章です。
キラッキラのスパークリングシューズを買ってもらい、ルンルンの娘。
すると夫が「さ、帰ろうか」と。
ワタシも夫も基本人ごみが苦手。
なので、用事が終わったらさっさと家に帰ってのんびりすることがほとんどです。
いつもなら私も「そうだね〜」って言ってバス停にサッサと向かうところですが、今日は食べたいもの、見たいものを見つけるんだ!と心に決めていた。
私「ちょっとだけ、見てまわらない〜?」
すると夫、「いいよ〜、何が見たい?」
なに...なんだろう。。。
私「何が、見たいのか良く分からない...」←愕然
夫「じゃあグルッと一周してみようか」
今思えば、夫、優しかったな...。
そして結局色々見て回ったけど、欲しいものや食べたいものが良く分からず。
でもなんだか甘いものが食べたい気がする、とかすかに思い当たり、「ケーキはどう?」と伝えるワタシ。
すると甘党の夫も乗り気になり、ケーキに的を絞って一緒に色々と見て回る事に。
新しく出来たカフェから覗くケーキやマフィン。
露店に並ぶ手作りのチョコレートブラウニーやチーズケーキ。
でも、見ても見ても、「これが食べたい!」っていうものが無い。
というか、目に映るものを見て、自分がどう感じているかすら分からない。
何かを感じたと思ってその瞬間急いで掴んだら、砂のようにサラサラ...って流れていっちゃう感じ。
なんか、泣きそうになった。
たくさん食べ物があって、どれも美味しそう。
なのに私はどれが食べたいのか分からない。
こんな簡単なことも分からないなんて。
まさに↓岡田さんの記事のこれ状態。
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一部抜粋↓
個人的には、
『感情をコントロールしよう!』
という言葉は
『感情をコントロールしなきゃ
ママに嫌われちゃう!』という叫び
だと思ってます。
そして、冒頭のような言葉を
何度も何度も唱え続けると、
感情への透明な蓋が出来て
本当は何を感じていたか?が
わからなくなってくるんです。
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2歳半で父が単身赴任になってから私の世界は母が中心になった。
虐○、とまではいかなかったけど、言葉の暴力と平行して物理的に叩いたり蹴ったりは日常茶飯事だったな。
「感じない方が楽だ」って、幼い私がそう思ったかはもう覚えてないけど、そんなふうに生活して来たと思う。
私は今までなんて酷い事を自分にしてきたんだろう。
母親から離れても尚、今度は私が私自身の声を無視し、心と身体を酷使してきた。
大学に入っても社会人になっても尚、母親の代わりを探して自分よりも「上」だと感じる人の声に従って、自分の心と身体の声を無視したんだ。
私の心の声はどんどん小さくなって、私自身ですら聞き取れない程になってしまった。
ごめんなさい。
本当に申し訳なかったと思ってる。
これから、大切にする。だから、仲直りしよう。
仲良くなりたいの。
一緒に、心から笑いたいから。
どんなに小さい声でも、どんな罵詈雑言でもいい。
だから、あなたの声を聞かせて。