2023/03/11 徳川家康 あと1章で読み終わる | 汚事記

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山岡荘八のヤッス(徳川家康のこと)の小説、あと1章まできて、なかなか読む気にならないです。

残すところ、26巻「立命往生の巻」の「悲願果てなく」という章で終わりです。おおよそ2年かかって読んできただけに、読み終わったらどうすればいいんだ、みたいな気分になってしまって、これは『ダルタニャン物語』の時もそうでしたが、なんとも心もとない。このヤッスの小説はひたすらダラダラと長く、読んでる間は、

(もっと簡潔に書けそうなものなのに)

とか、

(はやく終わらないかなー)

とか、不平たらたらだったのが考えられナス。

26巻の終盤、ヤッスが鯛のフライを食べて発病、ついに最期の時が来た! って展開から、感動の楔が心にガシガシ打ち込まれるのに仰天、

(これはすごい小説だったのでは?)

と思い直し、姿勢で喩えるなら……、寝転がって鼻ほじりながら読んでたのが、バッと起き直って正座して読む、そんな心持ちで、心打たれて涙を流したり洟をかんだりしながら読んだんですが……ヤッス、なかなか死なない。

(いつ死ぬのかな)

とか思うようになってしまって、いかん。鯛のフライを食べて倒れたのが1月21日、そこから危篤だのなんだのと騒いで「生命の大樹から体を借りてきた」といって持ち直したかと思いきや、朝廷の使いが来るからと起きてはまた危篤、また持ち直し、また危篤、やがて春になり小説のなかではとうとう4月半ばに。ふざけてるのか。

それはおいといて、この巻の真ん中あたりに『越路の雁』という題の章がありまして、これがいたく感動致しました。忠輝のセリフに、

 

その死までを歩く人生の旅にも、真剣な旅もあれば、苦患を遁れるための負け旅もある……

 

という箇所があり、これには目を開かされた、と言いますか、生き方を考えさせられました。そこだけポッと読んでも真意は伝わらないでしょう。その後、松平勝隆が家康の伝言を話すセリフ、

 

「はいッ。生死は問わぬ。が何れ相会うところは一つ、そのおり、父と子と、何れが真剣に生きたるや、それを上総と競おうほどに、そう申せと」

 

続く忠輝の述懐、

 

(結局、それが人生らしい……その競いにすがって生きてゆく……そこにしか救いのないのが、まことの人生の姿らしい)

 そう思うと、それは無限の悲しさと、無限の滑稽さで胸をえぐる。

 

って部分、これはハートを衝かれたような心持がしました。ここが読めただけで26巻にわたる長い小説を読んできた甲斐があった、とすら思えました。小説家というのはどこでこういうことを学んでくるのかと、そこを読んでから風呂に入っていたりしても思い出されました。彼らはこれだけ凝ったことを描くのだから、相当な時間机に向かっていると察せられるわけで、となると人生修行みたいなことを学ぶ暇などないように思われます。なのにこういう深いところを出してくる、そこが小説家であり凡人との違いなのだと言ってしまえばそれまでかもしれない、しかしどこか鋭敏な部分がなくては普通に暮らしていたらこの境地には達しないはずです。ここはさすが、と唸るしかないのでありました。この山岡荘八という人はどういう暮らしをしていたのか、非常に興味をひかれます。

あと、死にかけている家康が夢を見ていて「生命の大樹」の枝に今川義元、織田信長、豊臣秀吉がそれぞれ鳥に姿を変えて止まっている箇所の感慨深さや、この世から戦は無くならないと言い張る真田昌幸と言い争っていたという場面(ここ、すごくわかる! いかにもあの世で家康に言いそう)、また、信長にも笛を愛する優しい一面があった、そのことが家康には救いであった、信長ですらそうだったのだから、やりかた次第で人は戦と縁が切れるはずだという場面、こうした描写のつるべ打ちで私にとって珠玉の最終巻でありました。やはり作品は最後まで読んでみないとわからないですね。

この作品は中古の揃いを買ったので仰向けで読めなかった(仰向けで読んでいると中古本はページに挟まっている菓子くずや鼻くそなどのゴミが顔によく落ちてくる)のです。なので、全部新しく買い直して好きな姿勢で読めるようにしたいです。

あと、家康は伊勢を日本人にとって非常に大切なものと考えていて、私にはそこらへんの知識が無くて理由がわからなかったので、学んでおかねばと思いました。

 

ああ、これ読んじゃったらどうしようかな。