✦首相官邸・二本松藩の江戸屋敷跡 | ⋆

知ったの、いつだろう(笑)。

下書きにあるはずですが、ざばっと引用のみ。

 

遺跡は実際バイトをしたくらい好きだけど、

これが、もうすこし最近だったならっ!o(TωT )

記録として、残しておきたい。

 

↓拡大できるサイズで載せました(*゚ー゚)ゞ

 

 

↓↓すべて引用です↓↓

 

二本松藩の江戸屋敷跡 https://blog.goo.ne.jp/svxs4_2005/e/ab97a30acd206614fbf67379746c62deより

2006-12-09

 

「美しい国」とはその国家の歴史的な遺産や文化を守り、次代に引き継いでいく国のことではないでしょうかねえ総理。

それとも新議員会館の建設と比べれば、残す価値無しと判断したんでしょうか?

何しろ見つかったことも公表しようとせず、秘密に埋めて「無かった事」にしようという態度は問題大有り。

ほとんどのマスコミも無反応。ニュースバリューがないと判断したのか?なんにせよ、既存メディアは肝心な時には役にたたねえな(爆)

「爾の俸 爾の禄は 民の膏、民の脂なり 下民は虐げ易きも 上天は欺き難し」

↑かつての二本松藩主が、居城の城門石に刻ませた碑文。現在「戒石銘」と呼ばれるものです。意味は↓

「お前の(武士)俸禄は、人民達があぶらして働いたたものである。お前は人民に感謝し、いたわらねばならない。この気持ちを忘れて、弱い人達を虐げられたりすると、きっと天罰があろうぞ。」

現代の政治家・役人に聞かせてやりたい台詞です。

~以下、引用記事

貴重な武家屋敷が永田町から出土した。しかし、その存在は国民に明かされず、「発掘調査はするが残すつもりはない」という。なぜならその上には、議員会館が立つ予定だからである。 

 永田町の国会議員会館の周囲はこの秋から高い塀がめぐらされ、抗議行動にやってきた教職員租合の「教育基本法改正ハンターイ」のシュプレヒコールに混じって重機の音が響いている。税金約1700億円を投じる議員会館の建て替え事業が始まったからだ。

 新会館は衆院2棟、参院1棟でいずれも地上12階建て(地下は3~5階)。空中回廊で結ばれ、各議員の部屋が現在の3倍近くに広がるのに加えて、議員サロンや託児所、多目的ホールなどの福利厚生施設も備える。建設単価を比べると、あの六本木ヒルズの1・5倍という超豪華な《金満議員御殿》である。

 計画では4年後に一部完成、全面完成は6年後の予定だから、議員たちがこの豪華会館を使うためには少なくともあと1回、選挙の洗礼を受けなければならない。

 自民党のある若手参院議員はプログで、(私達が新議員会館で快適な仕事をすることができるのは、何と次の選挙をクリアーしてからになるのです。 何としても、二期目の選挙を勝ち抜かなければならないとの気持ちが、本来意義とは少し違う観点からも沸きあがっている今日この頃です)― 
と、新会館の完成を待ちわびる気持ちを正直に告白している。

 だが、実は議員たちの期待に反して、塀の内側で行なわれているのは建設工事ではなく、極秘の「遺跡発掘」なのである。

 現在の衆院第一議員会館の裏手、高い塀に遮られて外からはうかがい知れない工事現場では、数多くの古い丸太の基礎杭がむき出しになり、数十人の作業員が土を丁寧に掘り返し、掘り出した石垣を組み上げて再現する作業が行なわれている(写真参照)。

「新会館の地下4階にあたる部分まで掘っていくと、関東大東災当時のものと思われる瓦礫の層の下に、武家屋敷の遺構が現われたのです」(工事関係者)

 この場所は江戸時代に二本松藩・丹羽家10万700石(福島県二本松市)の上屋敷が置かれており、出現したのは『勤番長屋』と呼ばれる江戸詰め武士の宿舎群だった。長屋とはいっても、一棟ごとに石垣を組み、瓦屋根の立派な建物であることが明らかになり、井戸や下水道も出土している。

 二本松藩は織田信長の重臣、丹羽長秀の孫・光重が藩祖で、幕末の戊辰戦争では会津藩とともに幕府側について、薩長軍と激戦の果てに13歳から17歳までの少年隊士14人を含む藩士334人が戦死した悲劇の藩としても知られる。

 日下、遺跡出土をうけて東京都埋蔵文化財センターが建設JVに参加して調査を進めている。遺跡からは当時の生活用具などが30箱分以上見つかっており、保存状態がいいことに専門家も驚いている。

 遺跡を視察した『江戸東京博物館』(財団法人・東京都歴史文化財団)の原史彦・学芸員が語る。

「江戸時代に武家屋敷が並んでいた千代田区には近世の遺跡は多いが、民間のビル開発でもうあまり残っていない。現地に武家屋敷が復元されたケースもありません。今回発掘された陶器類や金の蒔絵のある漆器、木簡、荷札などは保存状態がよく、江戸後期の生活を知る上で非常に良質な資料となるでしょう」

「こっそり調査を終えたい」

 ところが、そんな貴重な遺跡なのに、発掘作業は永田町でもほとんど知られていない。

「遺跡? 会館の部屋の窓から現場が見えるが、てっきり新会館の基礎工事をしていると思っていた」

 本誌の取材に議員たちは口を揃えて驚いていた。

 衆議院事務局も東京都も建設会社(大林組、竹中工務店などのJV)側も、遺跡発見を一切公表していないのだから、議員たちが発掘作業を工事だと勘違いするのは無理もない。

 なぜ、隠すようにして発掘を進めているのか。

 文化財保護法では、埋蔵文化財がある地域で土木工事を行なう際には、事前に文化庁(教育委員会)への届け出と発掘調査が必要で、重要な遺構が確認された場合、開発主と教育委員会が保存協議を行ない、設計の変更を求められる場合も少なくない。

 それなのに、今回の会館建て替えの計画では来年3月まで発掘調査を行なった後、4月から遺跡を破壊して新会館の基礎工事を行なうという、最初から「重要な遺跡ではない」と断定しているようなスケジュールが組まれている。

 前出・江戸東京博物館の原学芸員が語る。

「発掘には遺跡の破壊を最小限にする学術発掘調査と、開発工事で遺跡・遺構を取り壊すことを前提に記録保存を目的とした緊急発掘調査がある。二本松藩跡地で行なわれているのはこの緊急発掘です。都市部ではこのやり方が一般的ですが、研究者としては、復元できるものを後世に残せないのは忍びない」

《永田町遺跡》は国有地である。調査の結果、重要な文化財だと判断されれば、保存は可能だろう。だが、推進派にはそれが困るらしいのだ。

 調査を担当する東京都埋蔵文化財センターは、

「秘密調査ではないし、政府機関から符口令があったわけではない。都や千代田区の教育委員会が毎月進捗状況を確認しているし、重要なものが発掘されたらそのつど検討して、事業者と調査期間の延長も協議することになるが、いまのところそうした段階ではない」

 と説明するものの、遺跡の報告書がまとめられるのは、調査を終えた1年後になるという。それから専門家たちが「保存」を訴えたとしても、工事は進められて遺跡は跡形もなくなっているはずなのだ。

 事業主体である衆議院事務局はもっと歯切れが悪い。

「遺跡について公表していないのは事実ですが、その理由や計画見直しの可能性については回答出来ない」(広報課)というばかりだ。

 衆院議院運営委員会の幹部が謎解きしてみせた。

「遺跡が出たのを一部の議運幹部は知っている。新会館は民間のゼネコンが資金調達から運営まで行なうPFI方式(民間公共事業)で建設しており、国は完成後に分割でお金を払う契約だ。だから業者は工期を遅らせたくないし、議員も早く新会館に移りたい。遺跡出土を公表すると、保存運動や本格調査の要求が高まってスケジュールが狂いかねない。だから、こっそり調査を終え、埋めてしまうつもりでしょう」

 遺跡は陽の目をみることなく、金ピカ議員御殿の犠牲になるというのだ。

体験型ミュージアムにせよ

「殿様」も今回の発掘には釈然としない様子だ。藩主の直系の子孫、丹羽長聰氏は、上屋敷跡が調査後に壊される方針だと告げると悲しげにこう語った。

「5年ほど前の首相官邸の建て替えの時には、敷地の一部が藩邸にかかっていたらしく、東京都から〝家紋入りの茶碗が出ました″といった連絡をいただきました。でも、今回は藩邸の本格調査なのに、何の連絡もありません。幼少の頃、父から国会議事堂のあたりに藩邸があり、ご先祖さまが住んでいたという話を聞かされていましたから、遺跡が壊されて消えてしまうのは寂しい気がします」

 それを聞いた二本松市は黙っていなかった。三保恵一市長は、「長聰公がそうおっしゃるなら」と、国に保存を求める構えだ。

「二本松は丹羽公の入府以来360有余年の伝統があり、江戸屋敷は貴重な文化遺産です。国には公正な調査をしたうえで、保存していただきたい。私も遺跡を視察したうえで、安倍総理にぜひ、歴史を正しく継承していただくよう要望したいと考えています」

 安倍首相はいわずと知れた長州出身。ここで二本松藩邸遺跡を取り潰したら戊辰戦争の遺恨が……なんてことはないだろうが、専門家の間にも保存を求める声があがり始めた。

 江戸の都市空間の復元研究に詳しい波多野純・日本工業大学教授が指摘する。

「都市は歴史の上に構築されるもので、貴重な遺跡を壊さずに残す方法はいくらでもある。たとえば、カナダのモントリオールでは遺跡の上に博物館を立てた。アメリカのシアトルでは1889年の大火災後の復興で地下に埋もれた街が、アンダーグラウンドツアーとして観光名所になっている。新議員会館の地下に武家屋敷を復元して自由に見学できるようにするアイデアもある。破壊しか考えないやりかたはおかしい」

 巨額の税金で議員会館を建てるなら、その一部に武家屋敷を復元して子供も楽しめる体験型の歴史ミュージアムにした方が、よほど実践的な教育改革につながるのではないか。

 二本松市には5代藩主・高寛公が藩庁前の石に刻ませた戒石銘が国指定史跡として残っている。

(お前がお上から頂く給料は、人民の汗と脂の結晶である。
下々の人民は虐げ易いけれども、神をあざむくことはできない)(口語訳)

 まさに現代の議員、役人に聞かせたい言葉である。


~引用終わり。