福島県二本松の提灯祭り2015⑧三町合同・箕輪門 | ⋆

11月も終わり。。

今年は、個人的に「二本松」イヤーでした。
嫌ー!ではなく、大好きです(〃∇〃)

10月にある「二本松の提灯祭り」ですが、
5月には、箕輪門での七町合同も叶い、素晴らしき年でした。

って、いやー!
まだ今年終わらんから!!((>д<))

さて、
10月6日の3日目ですが、珍しく雨が降らず、お天気に恵まれました。
やはり今年も、箕輪門での三町合同出発式へ。



余談ですが、
この時点で、お酒も結構いただきましてお酒
気がつけば、なんかいい時間!!!!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

17時からまり(前後)、郭内通りを走るワシ。
そしたら、小学生の男子も目の前を走っていて、わたしに気付くと、
追いついてみろ的な表情でニヤリ嗤う∑(゚Д゚)

「箕輪門まで、競争だーーー!!!」
と叫び、袴で全力疾走(ただの酔っ払いか・爆)。

とはいえ、合間にしゃべったんだな。
お母さんと一緒に来たらしいけど、待てなくて先に箕輪門に向かっているのだと。

「お祭り、好きなんだ(〃∇〃)」に、こっくりうなずく彼。

「小若はやらないの? 」

「うーん、見るのは好きだけど、ああいう組織はねぇ」と理知的に返され、
「あー、わかる気がする」と納得するワタシ(失礼・笑)。

んで、全力疾走が始まり、結局わたしは「戒石銘から行くよー!」
ってお互い好きな入口から行って別れ、どっちが勝ったかは不明(ノ´▽`)ノ

彼が将来、中に行くかはわからないけど、
すごく祭りが好きなのが、色々なとこから溢れていて、
こういうお祭りの接し方も、ホントいいない!

外からの応援も必要だし、
何より、自分の好きなやり方で、楽しまないとねべーっだ!

ってことで、今年はいつもと違う方向に行って、
さらに、石垣によじのぼり(元気です)撮影。

知り合いになった方が、こんなわたしを見つけ、
よじのぼってきて、挨拶してくれるΣ(・ω・ノ)ノ!





http://ameblo.jp/nihonmatsu-1/entry-12027787488.htmlより

時代を遡ること

時は藩政時代(江戸時代)。

藩政時代には、

「明け6つに大手先(現在の二本松市立北小学校付近)に集合すること」

との命も出されており、(旧暦)8月15日の中秋の月夜であっても
足元を照らすために提灯が使われたと考えられる。

江戸時代は、(旧暦)8月14・15・16日が祭礼日で、
藩主が二本松在府の年に開催(2年もしくは3年毎)され、
明治期は旧暦に見合う新暦日(9月中旬から10月初旬まで)が祭礼日、
現在の10月4・5・6日となったのは、二本松大火のあった1918年(大正7年)から。

また、祭礼が毎年開催されるようになったのは、明治になってからのことである。

このように藩政時代には太鼓台がお城の近くまで来ていたのだ。
(現在は様々な歴史や道路事情もあり、現在の祭典時のコースとなっている)

しかも、朝集合するために夜中に太鼓台を運行しなければならない。
月の明かりだけでは暗い為に足元を照らすために提灯が使用されたと言われております。

本当の意味で、この場所が

『提灯』祭りの原点かもしれません。



370年続いてきたけど、いろいろ変わってきている。

そう、この祭りは新暦でいえば、9月に開催していたのです。
なんで秋祭りなのに「浴衣(綿)」なのかって聞かれるらしいのですが、
夏祭りの名残り、と答えているとOBの方が申してました。

9月じゃ、まだまだ暑い時期です。
5月のイベントもすんごい暑かったけど、
よくぞ、10月っていうよい時期に変更になってくれました。

先の箕輪門での七町合同も、上記の通り、
江戸時代には郭内(武家の町)に来ていたわけだし、
本番でも箕輪門の七…( ´艸`)

二本松神社からの御神火が少し遠くなるかな??
けど5月、新しい願いが出来ちゃったものね。



⑦郭内


③竹田。ぐるぐる回っております。



⑤根崎。ここで、すぎなりはあげませんよ。



ってことで、今年の三町合同は、
「提灯」祭りの原点であるかもしれないところまで。

四町合同へ、移動!
Go!Do!へ、I-Do!(酔っ払ってません)


続く。