母を看取るのが心細くなり
コブラを呼んでしまいました。

もう少し踏ん張るべきでした。


相変わらず母は瞼を閉じていましたが、
母の意識がある時
コブラを呼ぼうか相談すると
母は腕を払う仕草をしました。

私「こないだも来てくれたし、
お金 勿体ないし、もう ええって事か?」

母は小さく頷きました。


母は正しかった。


コブラが来てくれた事や
コブラを送り出してくれた叔父に
感謝しますが、

コブラにとって見舞いとは
代理ミュンヒハウゼン症候群に通じる
目立ちたがり屋のコブラの欲を満たす行為
だったと思われます。

コブラには皆んなで母を見送る考えはなく、

「私と姉ちゃん」というスタンスで
「ゲスト (客)」として振る舞いました。


母のベッドの側で
「あっちで お母さんに会ったら
宜しく言ってねー」と
何度も繰り返しました。

この時点でコブラを見限り
新幹線代を渡し
帰らせれば良かったです。


平日の夕方、病院にお見舞いに行くと
コブラ「あ、てふちゃん来た。
丁度、お腹空いたわ。食べに行こ」。

私は母の見舞いを
コブラに全て任せた覚えはなく

私だって少しでも長く母と居たかったし

言わなくても
その位の事は分かるだろうと思っていた私は
本当に大バカでした。


母が持ち直したら、即刻 帰らせ、
『2度と呼ぶまい!』と決めました。


人は辛い経験をしないと
精神的に強くなれないのでしょうか。