最初に行った病院は、
医療の年間ランキング本で見つけた
東京都立多摩総合医療センターでした。

大学の付属病院ではなく、
また乳房の温存率が高いのが、
魅力でした。

建物は大きくて立派、
中はキレイで開放感がありました。



私が住んでいる地域で受けた乳ガン検診で
マンモの経験はありましたが、
他の検査は初めてでした。

バネ式の針生検は
ヒゲのある ちょい悪オヤジ風の医師でした。

「( 腫瘍が ) 大きくなるまで
何で (検査に) 来なかったの?」と言われ、
返答に困りました。

その質問をして
治療にどう関係するのでしょうか?


針生検後、医師も看護師も
その場から居なくなりました。

何の指示もありませんでした。

私は上半身裸で
超音波用のジェルを胸に塗ったまま
診察台のベッドの上で独りになりました。

部屋の奥から看護師達の笑い声が小さく聞こえてきました。

暫く経ち、
診察台から起き上がり、声のする方へ
「すみませ〜ん」と言いましたが反応ナシ。

もう少し大きな声で「すみませ〜ん!」…

看護師達は お喋りに夢中のようです。


何気なく来た看護師さんは私を見て
驚いた顔を一瞬しました。

「拭いて、帰っていいですよ」。

どれで拭いて その布をどこに捨てるのか
説明はありませんでした。



その後、T辺医師の診察がありました。

医者の左頬から
長いヒゲが一本伸びていました。

カルテの私の住所を見て
「何でここに来たの」
「病理検査の結果が出ないとハッキリした事は言えませんが…画像を見る限り…癌です」
「どこで治療したいですか」
「うちでするなら入院して直ぐに抗ガン剤を始めます」
「自宅に戻った後、抗ガン剤で気分が悪くなって、救急車でウチに運ばれても、ベッドは常に満床で、満床なら受けません。たとえウチで手術してもです」
「どこで治療したいですか」…。


私に「…癌です」と言った時の医者の目つきは、決して患者に寄り添うものではなく、
告知されてショックな女性の表情見たさの
性癖に近い気持ち悪い目つきで、
今でも覚えています。


私「T辺先生のお知り合いの乳腺外科の
良い先生を教えて下さい」

医師「…うーん、いないなぁ…」。


この時、なぜ同じ都立病院で
乳腺外科や乳房再建の治療に定評のある
都立駒込病院を推薦しなかったのか、
T辺医師の悪意を感じます。


診察を終え、お会計までの間、
私は新しい乳腺外科医を探すべく
携帯で検索を始めました。



後日、
病理検査の結果が乳ガンだった事を
T辺医師から告げられました。

左頬の長いヒゲは、まだありました。

検査結果の内容は
医師のパソコンの画面にありました。

医師から詳しい説明をする様子は全くなく、
画面を見ても私は見方が分かりません。

医師「何か質問は ありますか」

私「画面の右上の数字は何ですか」

医師「ガン細胞の分裂する%です。
大人しいタイプの乳ガンです」。

何とかこれだけは質問できました。

検査結果のプリントアウトは
ありませんでした。

そして、
医師「どこで治療したいですか」。


私が治療を希望する病院名と医師名を言った途端、クルリとパソコンに向かい紹介状を打ち込み始め、その後こちらを振り向く事はなく診察は終わりました。


ここで治療しなくて本当に良かった (!!!!) と
心底 思います。


立派な看板、立派な建物の中に
親方日の丸に あぐらをかいた
医者もどきがや看護師もどきが
生息していました。