プロの文章力ってやっぱりすごい。
文字で笑わせたり心を動かすって、すごいテクニックだと思う。
「大谷じゃあるまいし」と「ヘアバンドの見張り番」という言い回しで、ふふって声が出たし、「私は自分の気持ちを隠しすぎて何が本当かわからなくなっている。」という表現にはぐっときた。



ときにこの投稿。

「職業差別だ!」という批判が溢れているのを目にして、色々考えてる。
たしかに言葉の選び方を見ても差別の要素があるには違いなさそうだけど、ここでの論点として差別が最大の問題なわけではない気がする。
どちらかというと、投稿主も言ってたけど、衣装を貸したスタジオ側のモラルの問題というか、配慮の欠如というか。
と言うと、その中にも差別は含まれてる気がするから結局職業差別なのか?とも思ったりするけど、そもそも、性産業に従事してるひとたちに対しての差別意識ってあるかな?
差別とはちょっと違う気がしてるんだけど。
どちらかというと区別とか適材適所とか、そういうことのような。

職業として選んで売れに売れていい暮らしをしてるひともいるんでしょうし、それはそれでいいじゃんと思う。
一方で、その業界に属さない家族親戚友人などに公言して活動してきたひとって、どのくらいいるんだろうっていう。
たとえば我が子に将来「ママはA◯女優で大人気だったんだよ!」って言えるもんなのかなとか、そういうことを考えると、やっぱり一般的には大っぴらにできない感覚があるものなんじゃないかと思うわけで。

つまり出ていける場所と出ていくに適さない場所がある、って感じか。

今回の投稿の場合、ウェディングドレスであることが最大の焦点で、一生に一度着るか着ないかというそれは、きっといろんなお店で比較して決めたであろう一着のはずで、それがA◯女優にPRで貸されてたのが「最悪」、事前に貸すと知ってたら契約しなかった、と言ってる。

そりゃそうじゃない?ってやっぱり思っちゃうんだよな。
投稿主の言葉の選び方はアレだけど、「嫌だな」と思ってしまう感覚は多くのひとにあるものなんじゃないか。

これ例えば有名なモデルとか芸能人、インフルエンサーとかだったらこうはならない(それもひとにはよるが)わけで、A◯女優だから嫌なのよ。
それって差別じゃなくて多くの女性の共通認識なんじゃないか。
男性にも理解してくれるひとはいそうだけど。

その認識や感覚を考慮できなかったのはスタジオ側で、こうなるまで誰も何も思わなかったのか、という点はとても気になる。

とここまで考えながら書いてきて、結局これは差別「ではある」な、というところに落ち着いた。
そうだわ、A◯女優側の数人が「差別だ」と言ってるのも見かけたし、当の本人たちがそう感じてるなら紛れもなく差別なんだ、これは。

感覚の問題だから、これは差別じゃないから、とか言っても無駄だった。

結論が出たらすっきりした。

ごはん作ろう。
今日もお昼のうちに下ごしらえ済みなのでちゃちゃっとできそう。


先日からほんのちょっとだけ新しいことを始めてるんだけど、それが思いのほか調子がよくて、もっと早くすればよかった!と思っている。
ずっと同じであることは楽でなかなか変えられないけど、思い切って動いてみると「もっと早く…」となることが多い。
今回は成功例。

ちょっとずつでも変えられるところは変えていこう。これからも。

こんなに強烈に日差しが照りつけて、ポジティブを強制されているような感覚になる昼下がりに、およそ似つかわしくないどんよりした思考に嵌り込んでしまったので、気分転換にウクレレを弾いた。

すごいよねウクレレって。

ほんとにただポローンと弦を撫でるように弾くだけで陽気な音がする。

まぁコードによってはそんなことない音も出るけど、基本が陽気。


ただ、こんなに暑いと楽器すら持ちたくなくなるのが残念。

涼しくして弾けやという話ではあるけど。


ていうか、どうでもいいけど今気づいた。

起立、礼、着席ってCG(G7)C??




って書いてから4時間くらい経った。

午後一、担当氏からメール。

ひさびさにわたしがミスをやらかしたらしくその報告。

肝が冷えた。

しばらくびびって内容が見られなくて、やっとフォルダを開けたらそこには本当にバカみたいなミス。

これをなぜわたしが見落としたのか、まじで謎。

あんなに丁寧に見たはずなのに。

ミスってやつは本当に一瞬気を抜いた隙に現れるらしい。

平謝りの返信をして、動揺を落ち着けるためにウクレレを弾いたのだった。

それでもなかなか仕事には戻れなくて、その後料理をした。

簡単な副菜を3品。

そのひとつは初めてのキャロットラペ。

ほんとはレーズン入れたかったけどないのでにんじんのみひたすら千切りした。

スライサーがあれば便利なんでしょうけど、手で切るのも悪くない。


あとはこれからメインを熱々で仕上げて、主食は酢飯で混ぜごはんにする。

大葉しらす梅ごまあたりでさっぱりと。

大量に作っても丼やタッパーで保存しておくとまるごと消えるので今日はおにぎりにしてやるんだ。

3つ作ったらさすがに1つは残してくれるんじゃないかと期待を込めて。

はたしてどうなる。


どうでもいいんだけど、今日のお昼は冷やし中華にしようと思って昨日の夜のうちにきゅうりやハムを千切りにして冷蔵庫に入れといたんだけど、今朝起きて見たらなくなってて、「??」と思ったらお供えに回されてたって話する?

全てを察してほしいわけじゃないけど、意図がほんの1ミリも伝わらないつらさ、理解してもらえるかな。どうかな。


こんなことは日々何かしらあって、もう諦めろってことでもあるんだろうし、耄碌した老人に何も期待しちゃいけないってことも理解はしてるんだけど、それでもやっぱりがっかりはする。

何が起きても「はいはい」って流せるやさしさと達観はまだまだ身につかない。

なんでも許せるような愛情は、このひとには持ってない。残念ながら。



泣いたり笑ったり凹んだりイライラしたりしながら、料理して掃除して洗濯してお風呂入って寝て。

それが生活ではあるし、そこそこパワフルにこなしてるつもりだけど、けっして前向きとはいえない。

そんなもんなんだろうけど。




夕方になると冷房がなくてもまぁ過ごせる気温になるのはありがたいな。

そういえばこの前GUにふらっと寄ったらスポーツ系のコーナーにノースリーブのトップスがあって、お安かったし試しに買ってみたらこれが最高。

着てないくらいの涼しさ。

がんがん洗えるし乾くの早いし。

夏の部屋着、これでいいじゃん。

となったので、近々また買い足しに行きます。

いやぁ、いいの見つけたわぁ。


さ、ごはん作ろ。


今日もお疲れ様でした。

水分しっかり摂って。

晴れ。

暑い。

昨日は帰宅してからものすごい勢いで家事をこなしたら晩ごはん時にフラフラした。

軽い熱中症か。

ちゃんと冷房してはいたけど、調理で火を使うと追いつかないのよね。

今日は気をつけよう。

とはいえ、本日の大物、ラタトゥイユはさっき作ってしまったので、あとはパスタを茹でるくらいしか特に火を使うこともなく。

そう、今日はラタトゥイユで冷製パスタにする。

昨日も夏野菜をいろいろいただいたので、贅沢に使った。

ぜったい美味しい。

あとは今季初の枝豆(昨日茹でた)や、小茄子の漬けたのや、あじフライもあるのでちょっと生野菜足せば完璧。


晩ごはん作りをほぼ終えて仕事。

昨日から取り掛かってる案件は久々の再校。

わたしはほとんど初校ばかり担当してるので、再校の案件が来るととてもわくわくする。

他人の仕事が見られるから。

今回の方はわたしとはわりと方針が違うタイプで、こここんなに細かく指摘するんだ、ってこともあれば、ここはスルーなんだ、ってこともあって。

目の付けどころって人それぞれなんだなぁと思う。

いろいろ観察できるのはありがたいし勉強にもなるけど、反面、初校でスルーされた箇所に指摘を出しづらいというモヤモヤがある。

再校って、もうこれで仕上げますよの段階であることがほとんどで、ここから表現を思いっきり変えると他で齟齬が生まれる可能性があるのでやめましょうね、ということになっている。

でも、やっぱり気になるものは気になる。

ここ変えたらぜったい良くなるとわかっていて見過ごすなんてわたしには無理。

ということで、字数を変えず(この段階で字数が変わるのも大変迷惑なこと)リライトもせず、でもいい感じになるやり方で、ちょこちょこ小細工するおばさんと化している。

編集さんに「このくらいの変更ならええか」と思ってもらえる程度で。

そういうことしてると考える時間は嵩むんだけど、いいんだ。

1日100ページ目標で、今40ページ。

いい感じ。


今夜は見たい大会があるのでできるだけ目をそっちに使うためにさくさく仕事する。




いやおもしろい。
今「発狂」「暴れ狂う」なんて絶対新聞では使わない表現なんだけど、これが使われているからこそのおかしみみたいなものがある。
あと、数字にはルビを振らないルールなんだろうけど、名前の「一」までルビなしにする必要ある?
「出刃はう丁」ってわざわざ「はう」にする意味もわからないし。
昔はこれが馴染みのある表記だったのかな。
言葉の移り変わり、おもしろい。

みなさんは暑さで発狂しないようお気をつけくださいませ。

ていうか、この時代の暑さなんてせいぜい27度とかなんじゃないの。