<過去の記事の再掲>

 

昔、大学の通信課程で社会福祉を学んだ時、教職課程も取っていました。

以下は、教職課程の課題レポートの一つで、不登校がテーマです。

不登校の子供に対して、頭ごなしに叱るのは絶対に間違いで、学校や家庭の事情、その子供の特性を十分に鑑みる必要があります。

思春期の子供にとって、本当の理由や事情は、なかなか大人に打ち明けられないもので、表面的なことだけで判断すると見誤ります。

例えば、家庭の事情などは、よほど信頼している教師でもいない限り、打ち明けられません。

 

当時のレポートはWordで保存しているので、ブログに簡単にコピーできます。社会福祉学のカリキュラムと教職課程のレポートはだいたい残っていますので、もし何かリクエストがございましたら公表します。

 

 

【教育相談 課題2】

 「不登校」という概念は、「学校に行っていない」という現象を捉えて、ひとくくりにしたものだが、実際は様々なケースがあることから、定義するのは難しい。

ここでは比較的多く見られる3つのタイプ、①神経症タイプ②怠学・非行タイプ③無気力・未熟タイプを取り上げる。

 

神経症タイプは、几帳面、真面目、完全主義で柔軟性に乏しいなどの性格傾向をもつ子どもで、学校へ行くことに対する葛藤が見られるのが特徴である。

学校に行く気持ちはあり、前日に準備するが、朝になると起きられず、身体症状を呈したり、ぐずぐずしたりして、登校不能になる。

親や教師からの登校を促す働きかけに対して、「すくみ反応」を示し、家の中への閉じこもりが見られる。

 

怠学・非行タイプは、学業不振が積み重なり、学校へ寄りつかなくなるタイプで、学校を休むことへの葛藤は見られない。

家の中に閉じこもることもなく、同じような子どもと群れをなして、反社会的問題行動を繰り返す。

教師に対して反抗的である一方で、教師との交流を求めている面もあり、アンビバレントな態度を示す。

 

無気力・未熟タイプは、①と②の中間的なタイプで、登校に対する葛藤はあまり見られず、学習意欲に乏しい。交友関係にも乏しく、非行化することもほとんどない。

家に閉じこもってしまうことはなく、平気で外出できる。葛藤を保持できるほどの自我が育っておらず、未熟で欲求不満耐性が低い。近年、このタイプが増加傾向にあるが、親が子どもを甘やかしてきたことが最大の原因ではないだろうか。

 

不登校の原因として、ある単一の要因によって生じていることはありえない。

 

複数の要因が重なって作用したときに引き起こされるものであり、それら要因の組合せは、個々のケースによって異なってくるため、一概には言えない。
そこで、不登校発生の心理機制に関して、代表的な3つの説、①分離不安説②自己像説③回避反応説を挙げ、述べる。
 
分離不安説とは、母と子の間に分離することへの不安が強く働いているとする考え方である。これは、母親が子離れすることが第一といえる。
自己像説とは、不登校は本人のもつ非現実的な万能的自己像から生じるという考え方である。この場合、学力の高さが全てではないということを指導する必要があるのではないだろうか。
回避反応説とは、いじめや失敗といった何らかの不快な体験や恐怖体験が反復して経験されると、学校場面に対する恐怖心が条件づけられる。
そのような時に学校を休んだところ、不安や恐怖心が一時的に低減したため、学校を休むという回避反応が強化され、自宅で恐怖体験を回避するという行動が習慣化してしまうという考え方である。
 
不登校の支援(対処法)について、私は不登校のタイプには、適切な方法と不適切な方法があるため、それを見極めることが重要だと考える。
登校を促す「登校刺激」は、特に、休み始めて1週間程度の間では、教師が優しく誘い、親が子どもの背中を少し押したりすることで改善されることが多いので有効といえる。
既述の②と③のタイプの場合は、積極的に登校刺激を行う方が良い。
家庭訪問は、教師がとる対応で最も多いといえる。しかし、容易に子どもと会えないことが多く、子どもにとって無理のないペースで侵入的にならずに接して、根気強く継続することが肝心である。
 

保護者への支援については、たいていの親は、自分の子育てが失敗したと自責の念を抱くが、親の気持ちを共感的に受け止め、親の苦しみを共有することが大切である。

保護者と信頼関係が出来上がることで、始めて、両者が同じ方向を向いて協力していくことが可能となるのである。

さらに、専門機関との連携も有効な支援となる。不登校のタイプに適切な専門機関を選び、支援することが肝要である。

 

<レポートは以上>

 

近年はそうじゃないかも知れませんが、3タイプの不登校の中で「神経症タイプ」が一番多いんじゃないかと思います。

私自身、中学2、3年の時、登校拒否で年間30日ほど学校を休みました。家庭の事情が原因です。

1982~84年当時、「うつ」という言葉は一般的ではなく、誰も知りませんでしたが、軽めのうつだったように思います。

(当時は自律神経失調症の一種の起立性調節障害(OD)と診断されましたが)

思春期だし見栄や体裁があるので、教師や友人に事情を話すことは一切なく、教師からは怠惰で休む「問題のある生徒」と見なされていました。

心理的なことの真相は明るみになりづらいものです。