<2009年6月の記事の回想>

 

 

いきなりですが、人生で一番幸せを感じたのは母校での教育実習でした。

実習だけに厳しさや大変さもあったけど、それ以上に楽しかった。

 

特に勉強ができる高校って訳じゃないけど、在学当時から「みんな真面目そうやな」って他校に通う中学時代の友人に言われたり、生活指導の先生は「うちの生徒は純や!」が口癖やったりする校風やった。

亡くなった母が保護者面談に行った後、「みんな真面目そうな子やなぁ」って、ちょっと嬉しそうに言ってたのを思い出す。

1924(大正13)年に女学校として開校して、歴史はやたら長いけど、どこにでもある平凡な公立高校。それこそあだち充のマンガに出てきそうな平和で緩い学校。「温泉」と揶揄されたこともあった。

(「温泉」と揶揄された高校はうちともう1校、同じ学区内にある与謝野晶子や沢口靖子が出たS高校があった)

卒業から20年以上経ってたけど、生徒の素直さも含めて変わってなかった。

 

実習した時は40歳で、他の実習生は全員21~22歳やからだいぶ浮いてたけど、そんなこと気にならんかった。

ホームルームは3年生の担当で、生徒たちと一緒に校舎の周りを清掃したり、毎日、放課後の掃除当番につきあったり、芸術鑑賞会の引率をしたりした。

授業は1年生の現代社会を担当したけど、みんなちゃんと聞いてくれてやりやすかった。緊張感があってお互い真剣モード。

こんなこと自分で言うのは大袈裟でさぶいんやけど、全力で真剣勝負した。

部活動をする生徒以外が下校して、少し静かになった校舎で学習指導案を作成しながら、懐かしさに浸ってた。一生、母校で教師をしたいとさえ思った。ほんまに夢の中にいるようやった。

 
指導教諭ではないけど、すごく熱くていい先生(当時52歳・男性)との出会いもあった。
最終日の夕方、わざわざ実習生控え室まで来てくださって、
「年齢制限ギリギリまでねばって、絶対に教師になって下さい」って言われて、固い握手をしてくださった。
胸が熱くなった。
 
帰りの電車の中、授業したクラスの女子生徒が横に来て、
「いいノートがとれて授業がよくわかりました。がんばって下さい」って言われた。
母校の後輩ということもあって、余計に嬉しかったな。

 

2年ほど前にダンス部がテレビによく出てて、変なメイクして紅白歌合戦に出た時はビックリしたけど、基本、これといった特徴のない地味な学校です。

 

世間の人は結婚式や出産が人生で一番幸せな瞬間やったと思うけど、経験ないから俺には分からん。

40歳で教育実習をするのはかなり珍しいし、そんな歳で教員採用試験を受けるのは、筆記試験の出来が良くても合格する可能性は低いのに、アホみたいな無謀な挑戦をしてた。

そやけど、その時は本気やったし、全く後悔してない。

試験に合格して府立高校の教師か特別支援学校の教師になりたかった。

 

教員採用試験と社会福祉士国家試験の勉強を同時進行でやってて、大学受験の浪人生みたいな生活やったけど充実してた。そういうのが好きなんかもしれへん。

1~2年間限定で人生をかけて自分を追い込んで何かに集中するみたいなこと。

 

自分の生い立ちや経験から、10代の子が何かに取り組むこと、何に取り組んだらいいか分からないという話を聞くと、今も熱くなってムキになってしまう。

10代でしかできないことがあって、それに必死になることがその後の人生の糧、心の糧になるってことを知ってほしい。

それが直接将来に関わることじゃなくてもいい。本気で取り組めるものだったらいい。何に本気になるかに正解はない。

 

 

社会の底辺に位置するおっさんの独り言。