一昨日、1年ぶりに中学からの親友とご飯に行きました。1週間前に誘われました。年末も誘われたのですが、叔母が亡くなった関係で会わずじまいでした。

ラインやメール等ではよく連絡しているのですが、会うとなるとそれぞれの事情でなかなか難しいです。

中学1年で同じクラスになって以降、高校時代は学校が別だったこともあり頻繁に会っていたという感じではなかったのですが(大学受験勉強時期はほぼ会わなかった)、1992年(23歳)ぐらいから2~3か月に1回ぐらいご飯を食べに行ったり映画館に行ったりしていました。

その友人が結婚後は半年~1年に1回ぐらい会う感じになりましたが、中学時代からこの歳まで時々会うような友人はなかなかいないように思います。

 

晩御飯に行ったのは地元ではちょっと知られている超大衆焼肉店で、美味い、安い、でも汚いという店だったのですが、その店にも近代化の波が押し寄せてきて、数年前からマイナーチェンジされてきています。

以前はというと、駐車場は未舗装で車体の底が擦れるほどデコボコがひどく、トイレは昭和中期という感じでよほどじゃないと使う気になれないぐらいでした。本当に引くほど汚い店でした。今でも綺麗かと聞かれれば、???ですが・・・。

肉自体は上質とは言い難いですが、タレが中毒性のある美味しさなので全く飽きません。食べた後は尋常じゃないほどにんにく臭いですが・・・。

 

友人も私も年の割にかなり食べる方なので(私の食欲は20代から全く変わらない)、2時間ほど食べていました。その後、ガストに移動して、ドリンクバーでお茶しながら話しました。

友人は翌日は休みということもあってお互いに時間を気にせずにいたら、結局5時間いました。計7時間以上も一緒にいたことになります。

 

元々のタイプが、その友人はものすごく無口で、私は多弁だったこともあり、私が話していることがほとんどという、おしゃべりの度合が対照的な二人ですが、それでバランスが取れているように思います。お互いが全く不快にならずに30年以上続いているのはそういうことなのだろうと思います。

 

ブログに書いている詳しい過去のことを話したのはここ数年のことで、どんなに親しくてもずっと話せずにいました。

今はブログに色々書いているので嘘みたいですが、そういうことを詳しく「カミングアウト」したのは割と最近のことです。

家族の恥になるという思いや親へのマイナスだけではない複雑な心境、詳しく説明するのにものすごくエネルギーを使うこともあって、長年自分の中に閉じ込めていました。過去のトラウマってそういうもんじゃないかなと思います。

 

長時間にわたって友人と過ごしましたが、感謝しかありません。

男女問わず昔からいい友人に恵まれてきたというのはすごく感じていますが、まさに「持つべきものは友」です。

本当に親しい友人や知人と会った時はいつも、「これが最後かも」という意識があります。

今後、極めて厳しい状況がきた時、その時の記憶が映画のワンシーンのように、走馬灯のようによぎるのではないかと思います。

その時の焼肉の味、煙で充満した匂い、にぎやかな場所等と共に友人との会話は記憶に刻まれました。

10年以上会っていない遠方の友人にも最後に会っておきたい。近年の会った頻度を考えると、次に会うときが最後になる可能性が高いでしょうから・・・。