約10年前に発達障害について学問として詳しく学びました。
発達障害についてもう何年もブログに書いていませんが、子供の当事者への対応が薬物療法というおかしな方向に進んだので、書こうと思わなくなりました。
個人的な意見ですが、発達障害は医学的に治療するものではないと思います。
性格同様、薬で治らないと思うからです。薬で明らかに良くなった例を私は知りません。
それより生きづらさに対する場面ごとの対処法を知恵として教えて訓練するしかないように思います。周囲のマンパワーが不可欠です。
英国人歌手のスーザン・ボイルは学習障害に加えてアスペルガー症候群だと診断されています。素人参加のオーディション番組に出た時の映像を見ると、最初はちょっと変わった人だなと奇異な印象を受けます。
それが歌い始めた途端、周囲の顔色が変わって、歌が終わった後はスタンディングオベーションでした。
日本人のダウン症の方で書道家もいますが、そういった方でも才能がある人もいる訳で、そこに障害の有無は関係ないのではないかと思います。
発達障害は先天的なもので、親の育て方によるものではないと一般的に言われますが、育った環境はその後の人生への影響がものすごく大きいでしょう。スーザン・ボイルは父親はアマチュアの歌手をして、母親は教師を目指していたのでピアノが弾けたそうです。そういう家庭環境だったから才能が育まれたのでしょう。
発達障害と呼ばれる人(子供)に親の適切なサポートが必要ですが、基本的にはそういった「障害」の有無にかかわらず、良い方向に向かえるように親や周囲がサポートするということには変わりありません。程度の差はあれど、基本は同じだと思います。
それが、発達障害と診断された人は薬物療法につながれるという現状が、本質を見えにくくしているように思えてなりません。
本人のための薬なのか、周囲の安心のための薬なのか?
発達障害とされる人たちは社会に適合するのが難しいから「障害者」と分類されているだけで、社会の基準が全く異なる場合はそういう風に分類されないと考えます。そうだとしたら、本来的には障害ではないとも言えます。ですので、薬で治そうという考えに矛盾を感じます。
話は少しずれますが、以前、重度知的障害者がメインの通所型の作業所で支援員として働いていたことがあります。重度の知的障害の方を見て、世間はかわいそうだと思っているかもしれませんが、私は幸せな方々だと思いました。重い知的障害のハンデがあることは不幸なのかもしれませんが、私にはそうは思えません。自分よりこの人たちの方が幸せだと感じました。
障害の有無と幸不幸は比例しません。周囲の環境次第です。
発達障害であろうとなかろうと、その人の環境次第で大きな差が出ると思います。