連日、佐世保高校1年女子殺害事件が報道されています。
こういう事件のマスメディアの報道におけるプライバシー保護のあり方に疑問があります。

被害者の氏名などは公表されるのに、加害者はプライバシーが完全に守られ氏名等一切公表されないというのはどうも腑に落ちません。
世間に晒してしまえという気持ちから言ってるのではありませんが、未成年とはいえ、これだけの犯罪を犯した者が被害者より守られていると感じます。
世の中、様々な考え方があるので、どれか正しくどれが間違いということは言えませんが、被害者のご遺族の気持ちを考えると、自分の娘は残忍に殺害されたのに、加害者のプライバシーは氏名さえも完全に守られることに憤りを禁じ得ないのではないでしょうか?
まだ高校生で未成年だとはいえ、これほど残忍な殺人を犯した者が氏名もわからないまま、数年後に身近にいるかも知れないということを考えると、それが社会にとっていいことなのか、複雑な気持ちで色々と考えてしまいます。

特にテレビのニュースに言えることですが、未成年が犯した事件に限らず社会的影響が大きい事件は、加害者と被害者の氏名のうちどちらか片方は公表されます。
これはテレビで報道する上で加害者、被害者共に氏名を伏せるとやりにくいというのもあるのでしょう。
さらに、未成年の被害者の氏名を公表するか否かの基準が曖昧です。
例えば、誘拐されて性犯罪の被害にあった女子児童は、無事に保護された場合はその氏名が公表されません。
誘拐されて行方がわからず公開捜査に踏み切った場合は当然、氏名が公表されます。
では、命を奪われた未成年のプライバシーは関係ないのだろうか?
今回の事件の場合、本当に加害者のプライバシー保護という目的があるのなら、加害者と同じ高校の同級生である被害者の氏名や顔写真を公表するのは果たして適切だと言えるのだろうか?
何か、マスメディアがいう未成年のプライバシー保護というものがいい加減で矛盾していると感じます。

実際にこのような報道規制は議論されています。
未成年の実名報道の禁止は国民の知る権利の観点から少年事件と表現の自由の関係を考え直し、少年法61条の改正を提言する主張があり、被害者のプライバシーがさらされる状況に対して疑問を呈する意見も出されています。


今回の事件を調べる限り、加害者を諭したり教育したりしたところでその行動がなくなるとは思えません。
知識、知性といった部分では事の善悪を理解できるが、感情に異常があり理性で抑えられないという人物だと考えられるからです。
精神医学で薬物療法を行ったところで治るものでもありません。
加害者の人権云々という人がいるでしょうが、氏名等を一切公表しないことが人権を守ることならば、被害者のそれもまた然りです。
しかし、被害者の氏名や顔写真は当然のように公表されています。
未成年の加害者の氏名等を一切漏らしてはいけないのであれば、未成年の被害者の氏名なら公表していいというのは矛盾しています。
被害者の氏名、顔写真ほか詳細な情報が流れることは問題として取り上げないのに、加害者の氏名等の情報が流れることに対しては敏感にプライバシーが云々と言うことが偽善だとどうして分からないのかと思います。
「未成年のためのプライバシー保護」とは一体、何なのかと思います。