<2013年6月27日の記事の再掲>


 子どもの頃から、人は死んだらどうなるか、「バチが当たる」「お天道様が見ている」という言葉があるように、誰かが自分の行為を見ているのか、といったことをよく考えていました。幼少期は、ちょっと悪いなと思うことをしたら必ず、独り言のように「ごめんなさい」と言ってました。

 中学2~3年の時、登校拒否で年間30日ほど欠席していましたが、家にいる間、故・丹波哲郎氏の本を読んでいました。その後も、生死について、あの世について、自分なりに情報を集めて、異口同音の共通項を見つけました。
これは特定の宗教の教えではありません。自分で調べて、精査した結果、大筋で信じていることです。
当然、異論はあるでしょうし、これが真実かどうかは分かりません。それに、それぞれみんな、自分がこれだと思っているのがその人にとっての「正解」でしょうから、「あいつの見解は間違いだ」と言って批判し合っても不毛の議論になります。他人に押し付けたり洗脳したりしなければ、それぞれが何を信じていようが己の勝手です。

あまりこういう話を書かないのは、自分の考えが絶対だとして、鼻っから相手を尊重しないで、コメント欄で自分の意見を言うだけ言って自己満足して終わりみたいな輩がいるからです。人を批判するのはサルでも出来るレベルで簡単です。知識をひけらかしてあれこれ理屈をつけてそうするのが賢明とは思えない。
その人にとって相手の考えが「間違い」であろうと、相手を頭から批判するのではなく、「こういう考えもありますよ」って情報提供するというスタンスでいるのが大人としての分別だと考えます。あれこれ屁理屈つけて批判しようと思えばいくらでもできますからね。
自分の考えを盲信して聴く耳を持たないのはエゴの塊なんです。


【死んだらどうなるか?】

 亡くなった肉体から魂が抜け出して、俗に「あの世」と呼ばれる(広義での)霊界に行きます。現世は3次元ですが、(広義での)霊界は4次元以上です。
「霊界」と一口に言っても、魂の進化度合によって、それぞれ住む場所が異なるので、何層にも分かれています。後述しますが、魂の修行は、「この世」(現世)で行い、その結果、霊界のどの位置に行くかが決められます。ですので、生前、家族だった人でも、それぞれ違う階層の霊界に行くことが多いでしょう。
霊界では、愛だけが評価基準になるので、この世での社会的地位や名誉や財産は関係ありません。愛のある言動をどれだけしてきたか、「愛」と「エゴ」の違いをどれだけ分かっているかが重要です。「情けは人のためならず」 という諺はまさに真理です。
そして、この世でしてきたことはすべて、あの世に筒抜けで、ごまかすことはできません。

 この世での死後、魂だけになりますが、それが本来の姿で、この世での肉体は「魂の入れ物」です。魂自体が死ぬということはありません。あと、この世で障害や難病があった人は、魂だけになるので、そういう障害特性や症状は消えます。

【何故、生まれ変わるのか?】

 魂は気が遠くなるほど長い年月をかけて進化していきます。その進化のための修行(カルマの刈り取り)は、この世でしかできません。あの世から、この世に生まれ変わるのは、その魂の意思で、魂のレベルを上げるため(カルマ解消のため)です。(魂レベルを下げるケースもあるそうです)
魂のレベルが高ければ高い程、それだけ、この世での人生は厳しいものになります。それが、自らの魂に課したこの世での修行のテーマです。ですが、生まれ変わった自分自身はそのことを知りません。大半の人は、あの世や前世の記憶はありません。
霊界は素晴らしい所なので、本当はこの世に出てくるのは嫌というか、苦痛なのですが、魂のレベルを上げるために生まれ変わってくるのです。生まれてくる時、オギャーと鳴きながら生まれるのはそのためだという人もいます(かなり非科学的ですが)。

 人が生まれ変わることは、科学的に証明されています。SAM前世療法という催眠療法をなさっている稲垣勝巳さんによるものです。以前番組でその模様が放送されました。決して、宗教的な話ではありません。

https://www.youtube.com/watch?v=BxYHCD_qWu8



 正直に言うと、私には、子どもの頃から希死念慮があります。初めて、死にたいと真剣に考えたのは、小学3年の時です。理由は家庭に関することです。
現在も希死念慮はありますが、生きなければならないと、自分に言い聞かせています。