<2009年5月17日の記事の再掲>

 

「ここは日本一困難な地域に築いた砦(とりで)です」

 

大阪市西成区の「あいりん地区(釜ケ崎)」で野宿生活者を対象にサポーティブハウス(生活支援付きマンション)事業を展開している山田和英さん(49)はにこやかに語る。

「サラ金の処理、住民票の回復、介護保険の手続き、何でもやります」

明治時代から100年以上続く建設労働者向け宿泊業者の4代目。10年前の不況時、高齢の労働者から野宿に陥り、餓死や自殺する姿を目の当たりにした。

「せめて畳の上の生活を」と2000年、生活保護制度を活用した日本初の事業に着手した。

 

入居できるのは保護申請できる65歳以上の単身者。

●支給費から室料を受け取り、希望者には給食サービスなど日常生活をサポートする。

●スタッフが家族代わりに誕生会なども開く。

●共同墓も購入し、お彼岸には法要も催している。

●野宿生活者を「お客」とみなした営業活動も積極的に行い、今ではハウス6棟に約700人が入居中だ。

追従する業者が続出し、結果的に高齢の野宿生活者は激減し、保護費が地元に落ちて商店街も活性化した。野宿対策の臨時住宅建設や病院搬送など社会的コストも削減できたという。

 

この特異なビジネスモデルが評価され、山田さんの会社「アプリシェイトグループ」が、第4回(2006年)企業フィランソロピー大賞(日本フィランソロピー協会主催)を受賞した。「人間愛」「慈善」を意味するこの賞は企業活動を通しての社会貢献をたたえようと設けられた。

 

社会的弱者の救済と住みよいまちづくりはどうすればできるのか。

「できない理由があるなら、その仕組みを見直せばいい」と山田さんは言ってのける。

地域の課題をよく見れば、事業が生まれ、新たな道が開かれる一例がそこにあった。

 

『毎日新聞』 2007年3月5日付

 

<引用は以上>

 

釜ヶ崎には、さまざまな福祉的課題があります。ここには昔から日雇い労働者が全国から集まってきます。住所不定の人も、高齢者も多いです。

この地区では多くの方々がボランティア活動をしています。毎年、冬になると炊き出しを無料で配り、凍死や餓死する人を防いでいます。社会福祉の原点がここにはあります。

ちなみに、「フィランソロピー」に関することは社会福祉士国家試験の出題範囲です。

 

企業はお金を儲けるだけじゃなく、社会貢献しないと評価されない時代になりました。

大企業じゃなくても、商売のやり方の知恵と工夫次第で社会貢献に結び付けられると思います。

そして、そういった智恵は経験からの気づきと学びによるものです。AIじゃない人間だからこそ生まれる智恵で、人類が共生する上で大切です。

「できない理由があるなら、その仕組みを見直せばいい」という言葉に感動しました。

 

【追記】

 この事例をヒントにしたのかどうか分かりませんが、生活保護費をだまし取る詐欺グループも現れました。いわゆる「貧困ビジネス」です。

 

弁当の配達などを依頼する契約書に署名させて、自社管理のアパートに入居させる。さらに銀行口座を開設させ、通帳とキャッシュカードを管理するとともに、生活保護申請で自治体の窓口に同行。保護費全額をカードで引き出し、家賃と弁当代を差し引いた残金を手渡すというやり口で、弁当代も高い設定にしてピンハネする。例えば、1食350円ぐらいで買えるものを1,300円にする。

詳しくは以下のリンクからこれについての記事をご覧ください。

「生活保護費 ホームレスからピンハネ(大阪)」

https://ameblo.jp/omw2610022/entry-10474685222.html

 

ほかにも、医療詐欺で生活保護費をだまし取る「病院ビジネス」もあります。

診療報酬明細書(レセプト)にあらゆる病名をつけて必要のない検査や入院などを繰り返し行う。生活保護患者を病院間でトレードして利益を生む「行路病院ネットワーク」の存在。また、自力で食事ができない生活保護の高齢者だけを住まわせるアパートと、病院(訪問看護ステーション)が結託して医療費を取る。

詳しくは以下のリンクからこれについての記事をご覧ください。

病院の闇ビジネスの実態

https://ameblo.jp/omw2610022/entry-11729561026.html

 

生活保護制度を、当事者の命を救うために活用する人もいれば、私利私欲のために悪用する者もいます。両方の事例を知ることで、生活保護制度の欠点や盲点も含めて、より深く理解できます。

 

世の中には様々な場面で対極的なケースがあります。

プラス面ばかり見ると楽観的になり過ぎて、細部への注視や考察を怠り、思考停止の脳内お花畑状態になる。

マイナス面ばかり見ると疑心暗鬼になってしまい、プラスに転用できる可能性を見出そうとしない。そこからアイディアや知恵が生まれる(失敗は成功の基、ピンチはチャンスみたいなイメージ)こともあるのに、考えようとせず目を背ける。

どっちにしろ考えなくなる。片方しか見えていないと視野が狭いから、立体的(「客観性を一段階高めた状態」という意味で使用。スピ的ですが…)な思考や俯瞰的観察ができない。

 

両方知ることではじめて、見えてくるものがあるのではないでしょうか?