元マラソン選手、松野明美さん(40)の次男でダウン症の健太郎君(5)の物語を紹介してきた。
夫婦の今の気がかりは、「来月から保育園に慣れていけるかどうか」。とは言え、健太郎君にもこの先に長い人生が待っている。
かつて短命と言われたダウン症だが、合併する心臓病の治療の進歩などで平均寿命は50歳を超え、今後、若い世代はさらに長命になると見られている。その中で、障害を持っていても、自立して暮らそうという流れが少しずつだが、社会に広がっている。
東京都杉並区のスーパー「コモディイイダ浜田山店」で働くダウン症の千野真広さん(21)は、特別支援学校を卒業して、パートで働き始めて3年になる。
鮮魚部門の裏方として、何十種類もある商品を店頭に出すために盛りつける。尾頭付きなら頭の置き方、イカの珍味なら量など、商品ごとに決まりがある。
「仕事に慣れて、うれしいですよ」と笑顔を見せる。当初は決まりを覚えられず、生まれて初めて他人から厳しくしかられ、しゅんとなった。
聞くよりも目で見た方が理解しやすいので、指示をメモし、見ながら作業することで間違いは格段に減った。7時間労働は体力と集中力が持たなかったが、現在の4時間なら大丈夫だ。
ダウン症の雇用は初めてという店長の関根茂之さん(38)は、「現場の理解と支えで、今は戦力として働いてもらっています」と話す。
「結婚して家庭を持つのが夢」という千野さん。契約更新時には、もう少し長い時間働きたいと申し出るつもりだ。ダウン症の人たちの中には、絵や楽器の演奏を身に着けて活動する人や大学を卒業した人もいる。
しかし、現実には働く場所は限られている。
多くのダウン症児にかかわってきた臨床遺伝医の長谷川知子さんは「社会性は育てられるので、受け入れ態勢があれば、働ける人は多い」と嘆く。
「心配性なので、将来は不安」と言う松野さんに、「大きくなったら、うどん屋を開こうか」と健太郎君のおじいちゃんは言ってくれる。
それでも、まだ5歳。夫の前田真治さん(41)は、「僕たちも、息子と一緒に成長していけたらと思う」と柔らかく構えている。
約1000人に1人の割合で生まれてくるダウン症。生涯にわたる暮らしを支えるためには、社会も変わっていく必要がある。
『読売新聞』 2009年3月10日付