熊本県の山あいの温泉町にある山鹿(やまが)市。

児童デイサービス事業所「こじか園」に、元マラソン選手、松野明美さん(40)の次男でダウン症の健太郎君(5)は通園している。

「あかい・にんじん」、「あおい・くるま」。保育士が言うと、すばやく2枚の絵を組み合わせては、赤いにんじんや青い車の絵を完成させ、木枠にはめ込んでいく。全部できると、目をきらっと輝かせて、得意げな笑顔を見せた。

 

2歳3か月で心臓の手術を受け、めきめきと元気になった健太郎君だが、逆に松野さんの心は沈んでいった。病気の心配が遠ざかると、ダウン症という事実に直面した。「病気は治せても、障害は治らない」との思いが胸によどんだ。

 

歩き出したのは3歳半。言葉もほとんど話さない。他人の視線に緊張した。ダウン症の子がいると近所に知られたくなかった。車以外では、ほとんど母子で外出しない。だが、家にいて親だけでできることの限界も感じ始めていた。

 

一昨年11月、車で通える隣市の「こじか園」の存在を知った。

同園の主任保育士、東好美さん(59)は、「何ができるか、どうしたらできるようになるか、一緒に考えていきましょう」と松野さんと夫に切り出した。筋肉の力が弱く、いすに座れない健太郎君のために東さんは段ボールやスポンジを使って、体がすっぽり収まる専用のいすを作ってくれた。洋服を脱いで着たり、お尻を支え、入り口の小さな段差を乗り越えたりする練習から始めた。

 

東さんは、健太郎君の興味がある遊びの中に、少しずつ達成可能な目標を入れていく。

丸、三角、四角、赤、青、黄色……。パズルや積み木遊びの中で、色や形、数の概念も育ってきた。小さな滑り台やトンネルくぐり。最初は怖かった全身運動も楽しむようになった。

遊びに興じるうち、段ボールやスポンジがなくてもいすに座り続けられるようになった。入り口の段差は軽々と越え、今では階段の上り下りもできる。

言葉こそほとんど出ないが、聞いて理解できる単語も増えた。

「『どうせできない』とあきらめてはだめ。親が変わらないと、息子さんも変わりませんよ」。

東さんの言葉に、松野さんは、はっとした。

そうか、息子には、ゆっくりだけど、着実に前進する力があるんだ。

成長の喜び、そして何より健太郎君のがんばりを目の当たりにして、「ダウン症で悩むなんて、ばかだなぁ」と思える自分に気がついた。

 

『読売新聞』 2009年3月6日付