2006年4月4日、福岡市立こども病院。

元マラソン選手、松野明美さん(40)の次男、健太郎君(5)は、ダウン症に合併した心臓病の手術を受けることになった。

2歳3か月で体重が10kgを超え、ようやく出た主治医からのゴーサイン。全国でも有数の手術実績がある同病院を選んだ。

 

ダウン症の約半数には心臓病の合併症がある。かつて短命と言われたダウン症も、心臓手術の進歩で、平均寿命は飛躍的に延びた。だが、手術は大きな賭けだ。

健太郎君には「心内膜床欠損症」と「ファロー四徴症」という2つの心臓病がある。心臓の内壁の中心部に穴があり、2枚の弁がつながって一つになっていた。直径1cmはあるはずの主肺動脈は鉛筆の芯ほど。

同病院心臓血管外科部長の角(かど)秀秋さんによると、自分の執刀で手術後死亡の経験はないが、一般的な死亡率は約10%。予断は許されなかった。

生まれてから、気が休まることがなかった次男の重い心臓病。「これで治るかもしれない」。手術への不安と期待が交錯した。

 

午前8時。心臓の働きを肩代わりする人工心肺装置に血管をつなぎ終わると、角さんは、卵の大きさしかない健太郎君の心臓に2cmほどの切れ込みを入れた。

拡大鏡をのぞきながら、人工のパッチで心臓の内壁の穴をふさぎ、紙のように薄い弁を縫い整える。狭さくした肺動脈を縛り、代わりに人工血管をつなぐ。心臓を止めてから約2時間。手術は山場を越えた。

 

午後3時。手術室の重い自動ドアが開いて、今までのどのレースより緊張した思いで待つ松野さんの前に小さなベッドが現れた。手術後の管理をする集中治療室に運ぶまでのわずか10秒、我が子の姿が目に飛び込んできた。

生まれて以来、黒ずんで生気がなかった肌が、爪の先までピンク色に染まっていた。安心と喜びで、涙があふれた。

4日後、一般病床に移った我が子を抱きとめると背中にあてた手のひらに、ドクン、ドクンと力強い鼓動が伝わった。健太郎君も体の変化に驚いた様子で、両親の笑顔を見上げて自分の胸を指さした。

 

『読売新聞』 2009年3月5日付