熊本市の北、スイカやメロンの栽培が盛んな熊本県植木町で、元マラソン選手の松野明美さん(40)は暮らしている。訪ねると、次男の健太郎君(5)が、勢いよく駆けだしてきて迎えてくれた。
健太郎君は、ダウン症だ。松野さんは、ダウン症の子供がいることを隠してきた。
「勝たないと意味がない」との一念で歩んだ競技生活。「障害のある子供がいるなんて、世間から見れば負け」と思えた。
だが、どんなにつらい時でも顔を向ければにこっと笑う。人より遅くても歩けるようになり、今では三輪車もこげる。
息子の笑顔と成長が松野さんを変えた。「人がどう思うか、じゃなく自分がどう思うか。悩む必要はない」。昨秋、次男の障害のことを公表した。
松野さんと健太郎君の5年間を紹介したい。
ダウン症の合併症で重い心臓病を持って生まれたこと。ゆっくりとではあるが、着実に成長していること。
そして、「人より前へ、1秒でも速く走る」ことにすべてを懸けてきた松野さんが、「ゆっくりと歩く人生も、また、すばらしい」と気づいたことを――。
松野さんが注目を浴びたのは、1987年の女子駅伝大会。身長148cm、体重36kgの小柄な体が12人をごぼう抜きした。88年にソウル五輪1万mに出場、バルセロナ五輪ではマラソンの代表候補。
95年に引退後は、独特のしゃべり口が人気を集め、タレントの仕事が増えた。2001年、同じ町内出身で、地元の県立高校の1年先輩の前田真治さん(41)と結婚。勝負の世界で生きてきた松野さんは、山男でもあった前田さんのおだやかさに心ひかれた。翌年には、長男の輝仁(きらと)ちゃんを出産した。
そして、03年12月26日午後4時。予定より1か月早く、約2700gの健太郎君が誕生した。
生まれてすぐ、松野さんは異変に気づいた。肌が黒ずんで、生気がない。医師は手早くへその緒を切ると、新生児集中治療室(NICU)に運んだ。
翌日、「心内膜床欠損症」と「ファロー四徴症」という心臓病と診断された。そして10日後、新たな宣告が加わった。「いろいろ調べましたが、お子さんはダウン症です」
ダウン症――。初めて耳にする言葉だった。
(このシリーズは全6回)
ダウン症とは…遺伝情報を伝える22対(の常染色体の中で最も小さい21番染色体が1本多いことで起きる。発達障害のほか、先天性の心臓病を合併することもある。
『読売新聞』 2009年3月3日付