毎日新聞・井上直樹記者による長期取材記録です。

 

 

徳島市に住む知的障害者の高橋将史さん(20)が先月、成人式を迎えた。

私は11年前、小学3年生だった「マー君」と出会い、小学校在学中に2回、本紙徳島面で、学校や家庭での生活ぶりなどの連載記事を書いた。それから8年が過ぎた今、マー君を支え続けてきた母博美さん(54)に、この間の歩みを聞きたいと思い、2人を訪ねた。

 

自宅近くで出会ったマー君は、あどけなさを残しながら、すっかりいい男になっていた。

「覚えてる?」。声をかけると照れくさそうに下を向いた。私が誰か分からないようだ。

2歳の時、原因不明のひきつけを起こして後遺症が残り、脳の右半分がほとんど機能していない。知能の発達は、幼稚園児程度で止まっている。

 

徳島支局に勤務していた98年初め、私は小学校に併設された障害児学級に関心をもち、障害児団体を通じて母親の博美さんと知り合った。「将史のこと、何でもオープンにしてくれて構わんよ」。そんな前向きさで取材に応じてくれる保護者は当時、珍しかった。通学先の市立小学校の協力も得られ、障害児学級での様子だけでなく、健常児クラスに加わっての授業や給食にも同席させてもらった。

授業に集中できなかったり、薬の影響で居眠りしたりするマー君に周りの健常児が積極的に声をかけるなど、教育現場での「支え」は思った以上に手厚く、強く印象に残った。それでも、自宅で目を離したすきに浴槽でおぼれそうになるなど、家族の日々の苦労は並大抵ではなかった。

博美さんから「障害児の親なら誰でも『この子がいなければ……』と思った経験はある」と明かされ、返す言葉もなかった。

 

小学校卒業後、マー君は県内の養護学校に進学する。

「楽しいと思うことを存分にさせたい」との博美さんの方針で、障害者のダンスチームに加わったり、高等部3年の夏には市内を流れる吉野川を横断する水泳大会にも出場した。時折、てんかんの発作が出たが、成長自体は順調だった。

 

風向きが変わったのは、養護学校を終えた07年春のことだった。障害児教育の枠を出た後の正念場なのに、通所し始めた更生施設でつまずいた。

比較的重度の区分に入るマー君に与えられたのは、牛乳パックをひたすら手でちぎる作業だった。自分で考え、絵を描いたり、細かい手作業もできるマー君には耐えられず、数日で「行くの嫌」と言い出した。通所拒否は改善されないまま、施設との契約は切れた。その後、ネジにボルトをはめ込む作業内容に興味を示して通い始めた別の施設では、通所仲間から言葉のいじめを受け、再び通所拒否に陥った。

生活の昼夜逆転が徐々に起き、昨夏以降は自宅から外へ出ようとさえしなくなった。昼間もカーテンを閉め切り、テレビの前から離れない。欲求不満は両親、特に博美さんへの暴力となって表れた。気に入らぬことがあるたび、息子は両親につかみかかる。最後は父秀文さん(54)に押さえつけられ、ひとしきり大声で泣きわめくと収まる。それが毎晩、繰り返された。

 

精神科医に「適応障害」を指摘され、服用した薬の効果か、昨年末からようやく状態は落ち着きを取り戻した。今は外出もできる。外出時によく買う缶コーヒーの話題になった時、マー君は、「コーヒーのブラックは大人の味やねん、甘ないねん」。そんな冗談も言えるようになった。

 

1月11日、地区で成人式が開かれた。小学校の同級生らと笑顔で写真に納まる姿に、博美さんは「よくぞここまで」と感慨ひとしおだった。マー君が成人した今、やはり気掛かりは将来のことだ。親はいつまでも面倒を見られるわけではない。親が死んだら、その後は?

こうした不安に、博美さんは「入所施設に婿入りさせたい」と答えた。最終的にはマー君に施設で暮らしてほしいと考えている。2人の姉や、老いていく自分たちのことなどいろいろ考えた末の「消去法」の判断だ。だが、施設との相性で未来が左右されるのに、徳島のような地方では選択肢自体が極端に少ない。

そうした現実的な問題を、一つ一つ乗り越える作業はこれからも続くが、博美さんは、「つらいとか、苦しいとか思わん人間やけん、自分では苦労と思ってない」と言う。

 

「障害のあるなしに関係なく、普通の暮らしができんもんかな」と博美さんはかねがね口にしてきた。趣味やスポーツに挑んだり、おしゃれを楽しんだりすることに障害者も健常者もない。

障害者への社会の理解が進みつつあるのは確かだが、障害者とその家族が、地域の中で「普通に」暮らせる土壌はまだまだ十分でない、と感じている。

 

「こうやって外出できるって幸せやなー」。取材後、私を見送るため、マー君を連れて車の運転席に乗り込んだ博美さんが、唐突に大声をあげた。外出さえままならない生活がずっと続いていたからだ。ささいなことでも、日常の喜びをかみしめる姿に、マー君と歩んだ20年の重みのようなものを感じ、胸が詰まった。

 

『毎日新聞』 大阪朝刊 2009年2月25日付

 

<引用は以上>

 

もし、採用試験に合格して、教員になることができたら、保護者の方の気持ちに寄り添い、共感できなければ…という気持ちでいっぱいです。

「しょせん他人のあなたに何がわかる?」と言われればそれまでですが、教員の立場で出来うることに、真摯な態度でのぞみたいです。