僕は2年前に、生まれて初めて尊敬できる先生に出会いました。 その先生について書かれた京都新聞の記事を要約します。

 

 

〇谷〇子さんは、47歳の時、乳ガンが見つかった。夫と離婚後、女手一つで2人の娘を育て上げたところだった。苦労に苦労を重ねた矢先だった。手術後も生存率は5年と宣告され、死を覚悟した。

そこで、昔かなわなかった学問への夢と情熱が彼女に力を与えた。48歳で、佛教大学史学科の通信制に入学し、修了した後、国文科へ編入した。

努力が認められて、指導教授に大学院への進学を勧められた。

喫茶店を経営していて、午後11時に店を閉めた後、午前3時、4時まで勉強し、午前7時3分の電車に飛び乗る生活。 

修士論文を書く時には脳卒中で倒れ、入院先に内緒で資料を持ち込んで、ベッドの上でもがんばった。

 

「若い人の5倍は頑張るしかない」、「丁寧に生きていくと道は開ける」 

 

57歳で博士課程に進むと、国際日本文化研究センターの共同研究員に招かれた。

 

<要約は以上>

 

66歳の今も、先生は現役バリバリで教壇に立っています。たまに先生からのご依頼で、仕事のお手伝いをしています。 

それもあって、時々、食事をご馳走になっています。(#⌒∇⌒#)ゞ