仁義なき戦い
※ネタバレです。
製作年 1973年
製作国 日本
上映時間 99分
監督 深作欣二
原作 飯干晃一
脚本 笠原和夫
企画 俊藤浩滋、日下部五朗
出演 菅原文太、金子信雄、松方弘樹、田中邦衛、伊吹吾郎、渡瀬恒彦、木村俊恵、梅宮辰夫 他

あらすじ
敗戦直後の広島・呉。戦場から帰還した広能は、ひょんなことから山守組のケンカに手を貸し、殺人の罪で刑務所に入る。広能は獄中で知り合った土居組の若杉と兄弟分となり、出所後には山守組の組員に。結成当初は小さな組織であった山守組は、次第に勢力を増す。その中で組員たちの思惑も動きだし、やがて壮絶な内部抗争へと発展していく。




やったど。

すみません。言いたくなっただけ...


本作は2回目の鑑賞です。前回観たのがかなり前なので、ぶっちゃけ内容は忘れてる部分が多かったんですが、おもしろかったことは何となく覚えていて。妻といっしょにもう一度観てみましたよ。


やっぱりまず最初に思うのは、画面から伝わる「熱量」がハンパじゃないということ。


冒頭の、焼け野はらになった呉の街で開かれている闇市。ここのシークエンスだけで体温が2度ぐらい上がりそう。カメラに映っている人々がもう、なんかいろいろと世話しなく動き回っているわけです。所々でストップモーションになり、テロップで登場人物の名前が表示されますが、彼らの勢いが凄すぎて、静止画になっても顔がぶれちゃって何が何やらわからないというね(笑)


とにかくあっちこっちでいろんな事態が起こってる。駐留米軍にレイプされそうな女性がいたり、ヤクザのいざこざがあったり、なんか豚の頭を鍋でグツグツと煮込んでたり(こういう美術がまた最高)


とにかくもう混沌としか表現しようのない状況を、観客は主人公・広能の視点を通じて追体験していきます。




この「勢い」みたいなものは、もちろん役者陣の演技や、演出脚本撮影音楽なんでもいいんですけど、そういった要素全てのレベルの高さからもたらされていて、その根底には、戦後という当時の時代性というものもあると思います。


戦時中はとにかく抑圧されてきた国民。「贅沢は敵だ」と教え込まれ、お国のためには命さえ投げ出さなければならなかった時代。


敗戦を期に、かつて誰も疑わなかった価値観が完全に崩壊し、みんながどこに行ったらいいかわからない「自由」という名の「無秩序」に全員が放り込まれてしまう。


でもその「無秩序」というものは、抑圧からの「解放」でもあって。「もう我慢なんてしなくていいんだ!贅沢でもなんでも、俺たちは自由なんだ!」という、ある種、タガが外れた状態に皆がなっていった時代。


冒頭シークエンスはまさにこんなイメージです。(「ジョジョの奇妙な冒険 第一部」より)


僕はいわゆる任侠・ヤクザ映画に詳しいわけではありませんが、本作が、それ以前の作品と比べて画期的なものに仕上がった要因として、「リアルさ」の追求がありました。


かつてのヤクザ映画の登場人物が、どちらかと言えば善玉というか、「弱きを助け、強きを挫く。」タイプの、ヒロイックな人物だったのに対し、本作に登場するヤクザたちは皆、自分のことしか考えないクズばかりなわけです。


アウトローたちの「カッコよさ」みたいなものに、「カッコよくねーよ。」と言い放つ本作は、そのドキュメンタリータッチな群像劇という作風もあって、やっぱり、同じくハリウッドで、それまでの「カッコいいマフィア像」「そうじゃない。」という回答を突きつけたマーティン・スコセッシを連想します。既存のヤクザ映画の価値観をぶち壊したという意味でも、時代的にアメリカンニューシネマの影響もあったはず。


ただ、スコセッシと違うのは、やっぱり先に書いた「熱量」「勢い」みたいなものですかね。かなりドライな印象を受けるスコセッシ作品と異なり、本作はドキュメンタリータッチでありながら、かなり「エモい」作風になっています。


その「エモさ」は、登場人物の「人間臭さ」からくるもので、彼らの滑稽なほどの「情けなさ」「ダサさ」が本作の大きな魅力であることは間違いないです。


例えば、銃で撃たれて、コロンて呆気なく死ぬんじゃなくて、「ギャー!いてえー!」ってもう絶叫して、苦しみ抜いて死んでいくわけですよね。ここがやっぱり「リアル」だし、とにかく本作の白眉でもある松方弘樹が演じる坂井のあの、ちょっと笑っちゃうぐらいの「ビビり演技」「やめてくれ~!ひぇ~!」っていう(笑) 


山守組長のあの、泣けばいいと思ってる感じとかもね。最高。出所した広能にメシ食わせて、「これで遊びにでも行け!」とか言って金を渡したかと思ったら、「俺たち先に出るから!ここの払い頼むな!」せこすぎるだろっ!っていうね(笑)




本作の登場人物たちは、皆がそれぞれにとっての「正」「正しさ」に従って行動していて。それは一般道徳、常識としての「正」というわけじゃなくて、自分にとって「タメになる」という意味で。「義」というものはあくまでも便宜上のものというか、実際には損得が全てな世界、言っちゃえば究極に資本主義的なシステム絡めとられた人々です。


それぞれが自分の「タメになる」行動をしているはずが、実は破滅への道を突っ走っている。だけど誰もそのことに気がついていないという滑稽さがあります。


その中で、「義」を自分の中心に置いて行動しているのが、広能です。彼は自分自身の「倫理観」「価値観」をしっかり持っている人物で、利益のみをひたすらに追求するシステムに踊らされる登場人物の中で、はっきりとそこに疑問を持っています。


広能がラスト、坂井の葬式で銃を乱射するシーンは、彼の心の内を表す、象徴的な場面でした。献花を片っ端から撃ち抜く姿は、表面上、繕われた「義」、実際には誰一人、心から坂井を弔う気持ちなどない連中に対して、「いつまでこんな下らないことを続けるんだ!」という、広能の怒りが爆発する瞬間です。


憤る山守に対して、「まだ、弾はのこっちょりますから...」という広能。これはまさに本作を貫くテーマである、「暴力の連鎖」というものを見事に一言で表現していて。まだ弾はある。まだ暴力は続く。弾が切れてもまた誰かが弾を込める。というね。本当に素晴らしい台詞でしたよ。




僕が特にグッとくるのは坂井です。組織が拡大する中で、彼もまた先に書いた「システム」に翻弄され、権力を握ることに躍起になるあまり、どんどん他者に対する不信感を募らせ、遂には親友であった広能のことすら信じられなくなります。


「わしのことまで、信じられなくなったんかい。」この広能の台詞は悲しかったですね。その後の、「わしら、どこで道まちがえたんかの...」という坂井の言葉も、本当にズッシリと重い実感が込められていました。


坂井にはきっと、このバカげたシステムから自由になる余地は残されていたと思うんです。広能と再会して、「まだ間に合うんじゃないか?」という気持ちに、少なからずなったはずです。


広能と別れた後、たぶん少しだけ心が軽くなったんでしょう。子供のためにオモチャを選ぶ姿に、観客の心が温まるのもつかの間、時すでに遅し、壮絶な最期を迎えます。とても切なく哀しい死に様でした。




たぶん、ヤクザ映画って聞くだけで、なかなか手がのびないという方、食わず嫌いをされる方もたくさんいると思います。わかります。何しろパッケージの圧力がハンパないですしね(苦笑) 年代的にも古い作品だし。


でも本作のおもしろさはとても普遍的なものだと思います。だって、「ヤクザ」とか、そういう細かい要素を抜きにして考えれば、登場人物たちが裏切り、裏切られ、「さあ、誰が生き残るんだ?」っていう話。言っちゃえばよくある話じゃないですか?


そしてきっちり、エンターテイメントとしてちゃんとおもしろいし、話自体はシンプルな中で、暴力の恐ろしさ残酷さ哀しさというものを、本当に生々しく描いている作品です。


戦後日本に確かに存在した野蛮さ」みたいな空気感がしっかりあるし、その野蛮さというのはつまり、70年代当時の、日本映画の魅力の1つの側面でもあったはず。


とにかくどこまでもエネルギッシュでパワフルな大傑作です。未見の方も、この機会にぜひ。超オススメ!でございます。


個人的評価
9.5/10


本作と併せて観てもおもしろい。スコセッシ監督のマフィア映画集大成。以前書いた記事はこちら 。




ではまた。やったど。(  ̄▽ ̄)