アイリッシュマン
※ネタバレです。
原題 The Irishman
製作年 2019年
製作国 アメリカ
上映時間 209分
監督・製作 マーティン・スコセッシ
製作 ロバート・デ・ニーロ、アーウィン・ウィンクラー、ジェーン・ローゼンタール 他
製作総指揮 リック・ヨーン、ニコラス・ピレッジ、ベリー・ウェルシュ 他
脚本 スティーブ・ザイリアン
撮影 ロドリゴ・プリエト
編集 セルマ・スクーンメイカー
衣装 サンディ・パウエル、クリストファー・ピーターソン
美術 ボブ・ショウ
音楽 ロビー・ロバートソン
視覚効果監修 パブロ・ヘルマン
出演 ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテル、レイ・ロマノ、ボビー・カナベイル、アンナ・パキン、スティーブン・グレアム、ステファニー・カーツバ、キャサリン・ナルドゥッチ、ウェルカー・ホワイト、ジェシー・プレモンス、ジャック・ヒューストン 他

あらすじ
かつて「アイリッシュマン」と呼ばれた殺し屋フランク・シーラン。彼は伝説的マフィアであるラッセル・バファリーノに仕え、さらに1975年の「ジミー・ホッファ失踪事件」にも関与を疑われてきた。ジミーとは友人関係にあったはずのフランク。今、彼は自身の半生を振り返る。




今年になってNETFLIXに加入したことでようやく観れた本作。というか、本作を観るために加入したと言ってもいいぐらい、去年から今年にかけて1番気になっていた作品でした。


マーティン・スコセッシ監督による、「グッドフェローズ」そして「カジノ」に続く実録マフィア映画3部作の3作目ということで、それはもう楽しみにしていたものの、1回目の鑑賞の時は終盤で睡魔に襲われてしまって(映画が退屈だったわけではなく)。ようやく2回目で観終わりました。


とりあえずもう観る前から主要キャストの、


ロバート・デ・ニーロ

アル・パチーノ

ジョー・ペシ


という闘魂三銃士、もとい、マフィア映画三銃士の名前を聞いただけでもすでに100点出ているわけですが、そこにさらにハーヴェイ・カイテルまでつけてくれるなんて心憎いじゃないですか。







やっぱり、主要キャスト3人の演技は凄かったですよ...


冷徹でありながら、どこか生真面目な雰囲気をもつ殺し屋を、さすがの貫禄で演じきったロバート・デ・ニーロ


狂気にも近い執念をもつ孤高の男、ジミー・ホッファを演じたアル・パチーノ。正直アル・パチーノ以外考えられないレベルの当たり役


気の良い感じだけと、やっぱり目は笑ってないという恐さを湛えるラッセル・バファリーノを演じたジョー・ペシ。若い頃のような弾けるような暴力性は無いですが、逆に年を取って静かな迫力があります。


正直このメンバーが共演するって、「ちょっとサービスキャスティングじゃない?」と思ってましたけど、彼らがそれぞれの役を演じたのは必然だと思える説得力を感じました。


もちろん出番こそ少ないものの、印象に残る圧倒的な迫力を見せつけたハーヴェイ・カイテルや、名前は知らなくても「イイ顔」をした他のキャストの皆さんそれぞれに実在感がありました。




本作の素晴らしさをどう表現したらいいか迷うんですけど、僕なりの言葉で言うなら、


「多幸感」


かなぁ...


先に書いたように、それこそ「ゴッドファーザー」「スカーフェイス」「グッドフェローズ」「カジノ」といったマフィア映画のクラシック作品を象徴するキャストが魅せる、磐石にして最高峰の演技アンサンブルはやっぱり凄くて。


なんて言うか、役者それぞれの演技が、決して大きな感情の動きを表すようなものではないんですよ。それでもちょっとした表情だったり、もっと言えば目の動きだけでも、微細な感情の変化が確かに画面から伝わってきます。


さらに演技ももちろんですが、スコセッシ監督らしい乾いたリアリズムタッチの作劇が土台にあるからこそ、細かい感情表現がより際立つのかなと。


なので、一見本筋とはそこまで関係なさそうな会話や場面まで見どころだらけなんですよ。ただ登場人物たちが会話をしている姿を見るだけでも、ものすごくリッチな画に見えるんです。


さらに美術衣装も本当に素晴らしいので、1カットごとにうっとり...


ストーリーに直接関係あるかどうかということよりも、画面に映し出される全てのものに快感を覚えるという、不思議な多幸感に包まれるような映画体験。


こういう気持ちになる作品ってあんまり無いというか。最近だと、個人的にはタランティーノ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

を鑑賞した時に似たような感覚になりました。




冒頭から、フランクとラッセルが「集金」をしながら、とある結婚式に向かうというちょっとロードムービーのような物語が展開していきます。


組織の「仕事」「結婚式」というと、僕はやっぱり「ゴッドファーザー」の冒頭シークエンスを思い出してしまって。


でも「ゴッドファーザー」では、庭先で行われている結婚式のものすごく明るい雰囲気と、それに対して真っ暗な部屋の中で行われる組織としての仕事。いわゆる光と闇の部分が非常に対照的に描かれている印象があります。


しかし本作では、いわゆる「日常」「仕事」「光」「闇」にはあまり境目が無いように見えます。マフィアにとっては、恐ろしい仕事であってもそれはあくまでも日常の延長にすぎない。つまりそれは一見平和に暮らしている僕らの日常と地続きでもあるということで。


「闇はすぐそこにある。」という、まさにこのリアリズムこそがスコセッシ監督の作家性の1つだと思います。


そもそもマフィアというものを「カッコよく」描いた作品が「ゴッドファーザー」であるなら、スコセッシ監督のマフィア映画のリアリズムは、ある種「ゴッドファーザー」に対するカウンターにもなっていたわけです。


でもやっぱり「スコセッシも『ゴッドファーザー』好きなんだなぁ。」と思える同作へのオマージュが随所に散りばめられていました。


例えば「車の助手席に座っている奴を後ろから..」とか、フランクがイタリア料理店でクレイジー・ジョーを襲撃する場面なんかもやっぱり「ゴッドファーザー」への愛情を感じるシーンでした。





本作は実録物であり、もはやドキュメンタリーかと感じるようなドライさがあるので、いわゆる劇的な人間ドラマというものは、ともすると希薄に感じるかもしれません。


でも全く描かれていないかというと、そんなことはなくて。


ロバート・デ・ニーロ扮するフランク・シーランは、かつては兵士であったという過去があります。そして兵士とは、上官からの命令には疑いを持たずに従うもの。それはマフィアの仕事も同じ。フランクはそのスタンスが性に合っていたので、スムーズに闇の世界に染まっていきます。


最終的にフランクは友人であったジミーを裏切り、自らの手で殺すわけですが、ラッセルを始めとしたかつての仲間たちもすでにこの世を去り、1人介護施設で暮らす姿はひどく空虚な存在に見えます。


自分の頭で考えることなく、ただ組織の命令に従って生きてきたフランク。ただ1人残された彼には何も残っていませんでした。






フランクの空虚さを表現するために、「少しだけ開いたドア」というものが非常に効果を発揮していて。


物語前半で、フランクとジミーが同じホテルの部屋に泊まるという場面があります。ジミーは自身の寝室のドアを少しだけ開けていました。これは言わばフランクへの「信頼」の証であり、ジミーが心を文字通り「開いた」ということのメタファーになっています。


本作のラスト、老人となったフランクが、部屋を訪ねてきた神父に「ドアを少し開けておいてくれ。」と頼み、観客から見て、ちょうどそのドアの隙間からフランクの姿が見える、という位置関係のショットで物語の幕が降ります。


「ゴッドファーザー」でもラストショットは「ドア」でした。しかし本作が意味するものは「ゴッドファーザー」のそれとは全く別のものです。


「ゴッドファーザー」では、新たなドンとなったマイケルが、僕らとは決して相容れることの無い闇に落ちてしまった。つまり「心が閉じる」という意味においての、「ドアが閉まる」というラストだったと思います。


また、「ドアが閉まる」というラスト自体が、物語がクローズドエンド、つまりは「閉じられたエンディング」「完結」であることを表しています(「続編作られてんじゃん」というツッコミはヤメテ!)。


しかし本作では、ドアは開かれたまま物語は幕を降ろします。オープンエンド「開かれたエンディング」です。


つまり、仲間たちもこの世を去り、友人であったジミーをこの手で殺した罪悪感を抱えるフランクの人生を、残酷にもこの映画は「終わらせてくれない」のです。「罪」「孤独」それを抱えたまま「生きていけ」と言っているのです。



そして観客に、ドアの隙間から虚無感に包まれる年老いたフランクを俯瞰的に、ちょっと突き放したような距離感で見せるあたりも、彼の空虚さよるべなさみたいなものがより強調される作りになっています。




本作におけるマフィアの描き方を最も如実に表しているのが、フランクの娘ペギーが、父親に向ける視線だと思います。


彼女のフランクに対する軽蔑すら滲むような厳しい視線は、例えば「ゴッドファーザー」で描かれたようなマフィアの「カッコよさ」みたいな部分に対して、



「カッコよくねーよ。」



というメッセージを、セリフでは言っていなくても、目の演技だけでハッキリと示しているあたりさすがと言わざるを得ないし、「マフィアとは恐い存在である。」というスタンス、距離感みたいなものは、まさにスコセッシのマフィア映画が示してきたテーマそのものだと思います。


正直、他にも褒めるところだらけなんですが、


例えば序盤に、「『少し心配だ』と言う奴は、実はかなり心配している。」というフランクのナレーションがありますが、物語後半、一部のマフィア構成員たちに目をつけられているジミーに向かって、ラッセルが「少し心配だ。」と言います。


一見ラッセルはいつジミーを裏切ってもおかしくないような、本音が読めない人物です。


しかし、先のセリフがあることで、実はラッセルはジミーのことを本気で心配していたということが、見事な伏線回収によって説明されています。


それからこれも序盤、フランクがかつて戦場で体験した捕虜の処刑についてラッセルに語る場面の、「あいつらは何故自分の墓穴を掘るんだ?」というセリフがあります。


でも本作は、実はフランク自身、もっと言えば登場人物全員が自ら墓穴を掘っているけど、本人たちは気づいていないという皮肉な物語でもあって。このあたりももう、憎たらしいぐらい上手いわけです。


あとは音楽の使い方とかも、例えば前半はちょっと明るい感じの雰囲気が音楽によってもたらされてはいるんだけど、それだけに無音になった時の緊張感はすごいものでした。




あー、もうなんだか他にも言いたいことがあったはずなんですけど、頭が割れそうなのでこの辺が限界...


とにかく本作は、アメリカ映画史におけるマフィア映画、その集大成的な大傑作であることは間違いなくて。


でも作品自体はすごくオーソドックスで、シンプル。映画を観るということに対する原初的本質的な喜びを感じるような、貴重な映画体験になりました。


去年公開ではありますけど、個人的にはぶっちぎりで今年ベストな作品でした。誇張ではなく本作を観るためだけにNETFLIXに入る価値はあると思います。オススメです。


個人的評価
10/10



ではまた。