アニメ版に関する感想は前回書いた記事を読んでいただくとして、遅まきながら劇場版を鑑賞してきましたよ。


アニメがかなりおもしろかっただけにすごく楽しみにしていたんですが、何より嬉しかったのが妻が映画館に行くことに前向きだったこと。


普段は「いっぱい映画も観るって約束したじゃない!あなた約束したじゃない!(´Д` )」沢田知可子的にしつこくつきまとっては例によってリサリサのような冷たい顔をされる僕(汗)




久しぶりに、妻と2人そろって映画館に行くのが待ち遠しいという得難い映画体験でございました。


映画に誘うと普段はこんな顔をする妻ですが...(「ジョジョの奇妙な冒険 第二部」より)

鬼滅を観に行く日はこんな感じでした。(「ジョジョの奇妙な冒険 第三部」より)



劇場版 鬼滅の刃 無限列車編
※ネタバレです。
製作年 2020年
製作国 日本
上映時間 117分
監督 外崎春雄
原作 吾峠呼世晴
脚本制作 ufotable
キャラクターデザイン・総作画監督 松島晃
サブキャラクターデザイン 佐藤美幸、梶山庸子、菊池美花
プロップデザイン 小山将治
コンセプトアート 衛藤功二、矢中勝、樺澤侑里
撮影監督 寺尾優一
3D監督 西脇一樹
色彩設計 大前祐子
編集 神野学
音楽 梶浦由記、椎名豪
主題歌 LiSA
出演 花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞、日野聡、平川大輔、石田彰 他

あらすじ
大正時代の日本。炭治郎は家族を鬼に殺され、生き残った妹・禰豆子も鬼に変えられてしまう。炭治郎は禰豆子を人間に戻し、家族の仇を討つため、「鬼殺隊」の一員として鬼狩りの道を歩む。

炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助は、短期間で40人以上が行方不明になっているという無限列車に乗り込む。炭治郎たちは鬼殺隊の「柱」の1人、煉獄杏寿郎と合流し、鬼に立ち向かうが...




アニメ版のラストがもろに映画に直結する終わり方だっただけに、序盤で無限列車が走り始めた瞬間のワクワク感はかなりなもんでした。


アクションシーンの素晴らしさはたぶん誰もが認める部分なんじゃないかと。僕は原作は読んでいませんが、絵が動くことの快感というか、とくに炭治郎と伊之助がタッグを組んで魘夢に立ち向かう場面や、煉獄さんが奥義をくり出す場面のアゲ感は最高でした。


列車が舞台であるというのもプラスに働いていて、列車が動く以上は物語も常に前に進行するし、その閉鎖空間の緊張感が、映画館という本質的に密室であるという空間感にとてもマッチしていたと思います。「鬼滅の刃」を映画化するうえで「無限列車編」を選んだというのは、なるほど正解だなと。


また、炭治郎たちが「夢」から抜け出したり、煉獄さんの死を受け入れるクライマックスなど、「過去に縛られたり、自分にとって都合のいい空想に耽溺するのではなく、現実を受け入れて前に進むことの大切さ。」という、これはアニメ版から語られている一貫したテーマが、この劇場版に集約されている感じがしました。


人間の命は「無限」ではなく、「有限」だからこそ美しいというメッセージも、普遍的で重要なものだと思います。




見事なアクションシーンあり、王道スポ根マンガとしての涙あり笑いありで、かなり楽しかったのは間違いないし、僕自身が登場人物のことを好きになってしまったので、アニメ版から考えれば、煉獄さんも出番は少なかったけど大好きだし、それだけに今後もっと彼を見ていたかったという名残惜しさもあります。


あくまでも僕が「鬼滅の刃」が好きであるという前提で、文句も言わせてください。




劇場版単体としても観られるように、ある程度キャラクターそれぞれのパーソナリティやバックグラウンドを説明する必要があることはわかりつつも、善逸と伊之助の「夢」シークエンスいらなかったと感じます。炭治郎と煉獄さんのそれは直接ストーリーやアクションに関係してくる部分なのでいいですが、善逸と伊之助の「夢」はほとんど関係が無いので、作劇上ちょっと鈍重になっていると思います(善逸が人間だったころの禰豆子を知ってるのはおかしくない?という小さな疑問もありつつ...)。


それからアニメ版から気になっていたことですけど、個人的にはやっぱり炭治郎に対する違和感みたいなものがあって。


「まっすぐで純心で優しい主人公」というのはまさに王道だし、僕もキライじゃないんですが、炭治郎の無意識空間が出てきた時はさすがに「ギョッ」としました。そこには人間だれもが持っている「歪さ」のようなものが全く存在しないので、僕には炭治郎が人間に見えなくなってしまったというか。


それからクライマックスで、炭治郎が煉獄さんから逃げようとする鬼を「卑怯者!」と罵ります。もちろん僕も煉獄さんの勇姿を見ているだけに、心情としては同意するところなんですけど、「別に卑怯ではなくない?」といらない水を差してしまう自分もいて...


例えば「ロッキー」が感動的なのは、それがあくまでもスポーツの範疇だからであって。試合の勝敗うんぬんではなく、自らの限界を乗り越えていくロッキーの姿に素直に共感できます。


しかし炭治郎たちがやっていることは「命のやりとり」です。そこには「試合に負けて勝負に勝つ」という美談は成立するはずがありません。彼らにとって重要なのは「生き残ること」です。「逃げるは恥」かもしれませんが、少なくとも死人よりは役に立ちます。


もちろん炭治郎は若さゆえにこの発言をしたんだと思いますが、作品全体として煉獄さんの死を、善きこととして全肯定されるような描き方をされると多少なり居心地の悪い気持ちになります。




そもそもですが、僕は煉獄さん自身は幸せだったのか?ということをどうしても考えてしまいます。


もちろん鬼殺隊の柱として戦いに身を投じ、責務を全うしたことは彼自身の選択であり、最後の彼の笑顔を見れば、そこに悔いは無いと思います。


ですが、その選択をした背景には彼の両親の影が多少なり介在していたのは間違いないし、「強者に生まれた者は他者を守る責務を負う」というのはあくまでも親側の論理であって、必ずしも煉獄さんが歩む道、人生の選択肢は他にもあったはずなんです。


「アベンジャーズ エンドゲーム」「大義のために個人の幸せを諦める必要はない」というようなセリフがありますが、「AだからBしなければならない」という決めつけ的な考え方は僕はあまり好きではないです。って煉獄さんからすれば余計なお世話ですかね(苦笑)





列車の乗客の描き方もちょっと気になって。


彼らだって炭治郎たちと同じように様々な事情を抱えてあの列車に乗り合わせているはずです。それが訳もわからないままに命の危機に晒されるわけですから、それは大変な恐怖だったと思います。


にもかかわらず、本作では乗客側の視点というものはほとんど無く、あくまで記号的というか、「コマンドー」ベネット風に言うなら「ただのカカシですな。」といった雰囲気。


「コマンドー」より。



だから煉獄さんが「ここにいる者は1人も死なせん!」と息巻いても、観客の頭に浮かんでくる顔は鬼殺隊の主要キャラクターのみ。他の乗客の命があまり重いものに感じませんでした。





あとやっぱり煉獄さんが死ぬくだりはたしかに感動的ではあるんだけど、ちょっと甘口すぎるとは思って。ただでさえお腹いっぱいなところに、煉獄さんの母親の幻影が出てきて、あまつさえ話し出したときにはさすがにクラっとしました。カラスが泣いたのもクラっとしました。


胸やけしそうなクライマックスが終わってようやくエンドクレジットかと思いきや、デカデカと煉獄さんの姿が映し出されたあげくに主題歌の歌詞が彼に重なるような内容で、ごめんなさい、正直僕は「くどい...」と思っちゃいました(汗)




その他細かいことですけど、メインタイトルの出し方はもう少し工夫して欲しかったとか、善逸が覚醒する場面はもうちょっと「溜め」をつくって欲しかったとか、この説明セリフの多さはいくらなんでも「映画」だとキツイとか、なんか文句ばっか言ってんな俺!


いや、いや!

好きなんですよ?


物語が途中なだけに、主要登場人物が負けて終わるというちょっとダークなラストは好き。「ロード・オブ・ザ・リング」で1番好きなのは「二つの塔」だし、「スターウォーズ」だと「帝国の逆襲」だし。


もちろん1回しか観てないので、僕が誤読している部分もありそうだし、何より彼らの今後の活躍に超期待しているのも事実なので。


少なくとも映画館で観る価値のある作品だとは思うし、熱狂する人の気持ちも全然わかる!


まだしばらくは劇場でかかってそうなので。未見の方はぜひ~。


個人的評価
6.5/10


アニメ版の時も思いましたけど、魘夢の能力はすごく「インセプション」っぽかったです。


ではまた。