監督・脚本・ナレーション:ヤンヨンヒ

 

 在日コリアン2世のヤンヨンヒ監督が、韓国現代史最大のタブーとされる「済州4・3事件」を体験した母を主役に撮ったドキュメンタリー。朝鮮総連の活動家だった両親は1970年代、帰国事業で3人の息子たちを北朝鮮へ送り出した。父の他界後も借金をしてまで仕送りを続ける母を、ヤン監督は心の中で責めてきた。やがて年老いた母は心の奥深くに秘めていた1948年の済州島での壮絶な体験について語り始める。監督はアルツハイマーの母から消えゆく記憶を掬いとり、母を済州島へ連れて行くことを決意する。

 

 在日コリアンのヤンヨンヒ監督が母親にスポットを当てた作品。お母さんは終戦直前に故郷済州島に戻り、1948年に起きた、軍や警察による住民虐殺「4・3事件」を経験、命からがら密航船で日本に帰ったそうだ。今までヤン監督にも話さなかったことをぽつぽつと話すようになり、韓国の市民団体の聞き取り調査にも応じて、詳しく語ったけど、その後、認知症が進んでしまった。「話さなくちゃいけない」という思いが年月を経て強くなったのかな。ぎりぎりのタイミングだった。その時の恐怖の体験が、韓国政府への不信感につながり、北朝鮮を支持することにつながったんだね。その後の帰国事業で3人の息子を送り出し、せっせと仕送りを続けたのもすべて韓国への不信感が原点だったのね。

 日本に併合された韓国から日本に来て、空襲から逃れるために帰った故郷の済州でこんな悲惨な体験をして、日本に逃げてきたなんて、本当に戦争に翻弄された人生だった。その後、北朝鮮に送り出した息子たち、その家族とも自由に会えなくなってしまった。お母さんはどう思っているか分からないけど、済州の体験がなければ、北朝鮮国籍を選ぶことも、総連を支援する事もなく、息子たちもそのまま日本で暮らしていたかもしれない。お母さん本人の人生だけじゃなく、息子たち、そしてヤン監督の人生をも大きく変えてしまったような気がした。映画では触れられていなかったけど、お母さんは今年1月に亡くなってしまった。波瀾万丈の人生だったと思う。映画の中のお母さんは明るくて、ちゃきちゃきの大阪弁で言いたいことを何でも言うイメージだった。影の部分は全く感じなかったけど、内に秘めた思いがあったんだね。改めて戦争は国民の人生を大きく変えるし、不幸にするもので、絶対になくさないといけないものだと実感した。
☆☆☆☆(T)