孤高のキーパー
どうも!4回生ゴールキーパーのマウントフォードアラン隼人です。松下からの紹介の通り、お笑い担当の私は場の空気を一変するような独特のセンスを持っており、常に台風の目のような存在で輝き続けています。
そんなことはさておき、今回はサッカー人生16年のうち7年間やってきた私のゴールキーパー史について考えていきたいと思います。
初めてキーパーに憧れたのは小学校の頃。YouTubeで見た2002年日韓ワールドカップ、カメルーンvsドイツでのオリバー・カーンのプレーだ。あの痺れるようなセービングの連発は今でも記憶の中に残っており、「止めるキーパー」という私の目指す姿を示してくれた。
そして時は経ち大学生3回生の時、私の目指すキーパーの姿は見事に打ち砕かれた。
チームのサッカーの方針が変わり、キーパーのビルドアップ参加を求められた。まさに現代サッカーと言わんばかりのものだ。「リフティングが100回しかできない。」そんな私の話を聞いたらどれほどの苦労があったかサッカー経験者なら容易に想像できるだろう。もちろんスタメンも外れた。中には「止めるキーパー」としての私を高く評価してくれる友人もいた。しかし、チームの意向には合わない。
このままではダメだと何度も何度も感じた。しかし一向にスタメンのキーパーとの差は縮まらない。1学年上のその人はスタメンのまま引退していった。勝ち逃げされたのだ。ただ悔しかった。そのまま次のシーズンを迎えるのが正直怖かった。
そして迎えた今シーズン、私はビルドアップで彼の姿を追うのはやめた。その代わり違う目指すべきキーパーを見つけた。
「打たせないキーパー」
口で言うのは簡単だが、実際はとても難しい。さらに超地味だ。自分の得意領域であるセービングを封じるようなものであったがこの姿を目指した。
味方が点を取り高揚したときでも、誰よりも次のことを考え喜ぶ輪には入らずただ守備のことを考え続けた。少し寂しい気持ちもあるが、私はここにキーパーの魅力を感じるようになった。まさに孤高。他の選手には自分の存在を感じさせないが、チームの守備は全て私の元に成り立ってる。そう思える時が一番心地良い。
それと同時にまだまだ可能性を感じる。枠内シュート数が0本でない限り私には成長の余地がある。残り1ヶ月半、自分の力を全力で出して1本でも多くのシュートを打たせない。チームメイトに「今日は見せどころなかったな。」そう言われるために日々努力していこうと思う。そして2部昇格へ。頑張ろう。
拙く伝わりづらい文章になりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。次回は静岡が産んだサバサバ系マネージャーの萩倉あかりです!普段何を考えているのか全然分からない彼女は何を語ってくれるのでしょうか、お楽しみに!