我が家のあんずは、噛み癖が激しいのでわたしの肩には乗せられません![]()
あんずは、こちら。
この写真は朝から水浴びを楽しんだ後のあんず
ぱぱさんの耳をかみかみするので、こんなアイテムを買ってみた。
オカメインコのおこうちゃんは噛まないし我が家のインコのなかでは一番お利口さんです。
あんず対策に小鳥部さんのイヤーマフ(オカメインコバージョン)を買ってつけると、最初は寄ってこなかったけど慣れるとツンツン突きにきます。
それでもガード効果はありました❣️(笑)
今年もあと1ヶ月になりましたね〜![]()
子どもの頃は一日が長く感じたのに、最近は時間が足りない![]()
あっという間に一年が経ってしまいます。最愛の孫りんが生まれて11回目の誕生日を迎えたのですから、わたしも年をとるはずだ(笑)
2024年に戦国キャンピングカー(マンボウ)で訪れたお城のうち、五城を選んでみました。満足度の高い順に、
肥前名護屋城は、みなさんもご存知のとおり、文禄・慶長の役と言われ、豊臣秀吉の大陸制覇の野望の前線基地となりました。
築城に際し、縄張りを黒田孝高、長政父子、加藤清正らが普請奉行となり、九州の諸大名を中心に動員し、突貫工事で約6ヶ月後の文禄元年(1592年)3月に完成しました。
唐入りの期間は、肥前名護屋は日本の政治・経済の中心となりました。
真田昌幸、信之、信繁(幸村)父子が集まった地、名護屋には真田陣比定地が五ヶ所存在するそうですが、今回は1ヶ所訪れました。
伊達政宗陣跡と言う名の交差点があったり、昌幸公の陣跡の近くには九鬼さんや織田秀信さんの陣跡もありました。信之公の陣跡にも行きたかったけど、本来の目的は立花家史料館と宿泊先の温泉なので、早々に引きあげました。
傘もささずに済んだのは昌幸公のお計らいかと♡
帰りのフェリーの予約番号がA-66でした![]()
豊後岡城
クアパーク長湯温泉を後にして、一路和歌山へ帰る予定が、近くに岡城があるので寄ってみました![]()
岡城は源平の時代から続く、800年の歴史があるお城です。
古大手門は南東向きでしたが、熊本城に行く藤堂高虎が岡城に立ち寄って「それでは、朝日が当たると戦いで不利になりはしないか」と助言し、その後、初代藩主・秀成公の晩年に改修されたそうです。恐るべし高虎さん。
大手門から戻ると晴れ間が
行きに撮った写真と比べて鮮やかです![]()
本来の目的地の肥前名護屋城、立花家史料館と温泉旅に、おまけで好きなお城を訪れることができて幸せ〜![]()
近江坂本城
10何年ぶりかの坂本城に![]()
湖の石垣に再会![]()
奇跡的に見つかった地上の石垣を遠目に見てきました。養生シートがかけられていましたが、現地に来ただけで満足![]()
宅地開発で見つかった遺構![]()
奇跡の発見と自治体の英断に感謝です。
膳所城はかつては本丸や二の丸、北の丸などの曲輪が湖に浮かんでいた水城で、日本三大湖城のひとつと言われています。
現在は本丸跡が膳所城跡公園として整備されていますが、琵琶湖に面する水城はどこもその形を残していません。
明治3年の廃城で城の遺構は寺社などに移されていて、その中心部の本丸跡である膳所城跡公園と、移築された城門で往事を想像することはできます。また、移築城門遺構の多さでは伏見城に負けず劣らず![]()
本多氏で明治維新を迎えたことから城門には立葵の紋が数多く見られます。膳所城跡を訪れた際は最低でも重要文化財の移築城門3つはおすすめです![]()
我が家は昔から鳥一族(笑)
アキクサインコは娘が飼っていて、お出かけ時はしょっちゅう鳥シッターしています。
朝おきると、まずはぱぱさんが一羽ずつ体重測定を。
まずは♂のこまっちゃんこと小松殿から。
次はワキコガネウロコインコのあんず♂
めちゃくちゃ噛むので私の肩には乗せられません😭
体重測定した子から好きな場所に移動
見た目だけはめちゃくちゃ可愛いのにね

関ヶ原前夜。
山深い田舎で育った十三歳の於くらは、越前府中城の炊飯場で下女働きを始める。
城主・堀尾吉晴に料理の才を見出された於くらは、出会いと別れを繰り返しながら、持ち前の機転と思いやりで天下人の心までもを動かしていく。
ちょうど信長の家臣団の城のシリーズで北庄城と柴田勝家の武将印を作っていたので、驚きました。
堀尾吉晴と結城秀康も登場するとは知らなかったのですが、やはり本とも縁というものがあるのだと思いました。
コロナ禍のとき、堀尾の分銅紋のマスクの制作を頼まれて松江の観光協会様まで納品したことがあります。
ほんまる神保町のわたしの【紀州戦国屋】の棚に、武川佑さん(最初は勝手に男性かと思っていましたが女性)の「かすてぼうろ」サイン本を作っていただいていて、残り一冊になりました✨
関ケ原前後の越前北庄城が舞台で面白いです。
この作品に登場するのは、堀尾吉晴、結城秀康で、明智光秀の家臣の四王天政実も。
本能寺の変や安土城饗応にも触れていて面白かったです。
【四王天兄弟とは】ウキペディアより一部抜粋
丹波支配を任された光秀は丹波国内の諸将を再度配した。
四王天兄弟は福知山城代とされ、政孝は福知山城周辺に1万石の知行を得た。
本能寺の変の際には明智方に加わり、負傷した明智光忠に代わって政孝が織田信忠の籠る二条新御所攻めを指揮した。
政実は本能寺で森蘭丸を討ったとされるが、これには異説もあり、政孝とも別の人物ともされる。また、森蘭丸ではなく弟の力丸を討ったとする説もある。
天正10年(1582年)6月13日、山崎の戦いにおいて、政孝は光秀に先んじて戦死した。
政実は紀州に逃れ潜伏し、同地の領主となった青木秀以(一矩)に仕えたのち、青木氏の転封に従い各地に移動した。
越前国北ノ庄領主だった青木氏が関ケ原の合戦の結果として改易されると、同地で浪人したが、その後に北ノ庄藩主となった結城秀康に登用された。
子孫は福井藩士となった。
真田の具足師も真田好きの私にはゾッコン。すっかり武川先生のファンになってしまいました。
かすてぼうろとは、カステラの意味も。
戦国、歴史好きな人におススメ。
尊敬する磯田道史さんの「武士の家計簿」は貴重な武家文書も面白いですが、かすてぼうろも、堀尾吉晴、結城秀康の台所衆としての於くらが、戦国の世の食の戦いに挑む姿に感動を覚えました。
では、今日もオモシロク