アンジュナからアランボールへの移動手段は、マプサからバスが出ているが、私はゲストハウスのスタッフにタクシーを呼んでもらうことにした。
値段は400ルピー(約1200円)。日本の感覚だったら安いけど、バスで行ったならおそらくこの4分の1にも満たなかったであろう。
普通のタクシーでももっと安かったはず。。
とにかく先を急ぎたかった私は、ついこのぼったくりタクシーをお願いしてしまった。
そして、とうとうチェックアウト。
今回約1週間弱このゲストハウスにいたが、到着時に値段を聞いた時は150ルピーとのことだった。さすがシーズンオフだから安い!と思ったが、ここで私の大きな誤算があった。
なぜなら、この時にお金をさっさと払って領収書をもらっておくべきだったが、そのスタッフが「後払いでいい」と言ったので、そうすることにしてしまったのだ。
そして今回、チェックアウトでお金を清算しようとすると、なんと1泊550ルピーだと言ってくるではないか!驚いて「150」と言ったと言っても後の祭りとなってしまった。
と、言うか、私はここで完全に騙されたのだが、出発間際になって急いでいたので、ここでもめて神経を使うのも面倒くさくなってしまった。
あっちはお金をだまし取るのに必死なのだから。
そこで、私の頭にインド初日のあのムンバイのホテルの南京虫事件がよぎった。あそこでも、私はボラレまくり、しかも言い争うのが面倒で、すぐに折れてお金を渡してしまったっけ。
そんなことがあって、”これからのインドでのゲストハウスでは、チェックイン時に絶対支払いを済ませ、その分のレシートをもらうこと。そして、決して長期まとめ払いはしないこと。”が教訓となった。
もちろんこれだけでなく、余裕があれば、こっちもしつこく言い争うべきなのだ。
あっちはあの手この手を使って、あらゆる騙しのテクニックを使ってくるのだから。
どこかの外国人バックパッカーが言ってたっけ。インド人にとって最も騙しやすいのが日本人、だましにくいのが、イスラエル人バックパッカーだと。。
そんなわけで、私はそいつのよこした白タクに乗り、アランボールへ向かうのであった。
アンジュナからアランボールへはアッという間だった。
アランボールは、アンジュナに比べればこじんまりしているが、それでいて、バックパッカー向けのレストランやカフェが密集して立ち並び、アンジュナよりも落ち着いた感じがした。
ど真ん中のカフェの前で降ろされ、そこから自分の足でゲストハウスを探すことにした。
すると、道の突き当たり付近でゲストハウスのマネージャーらしきおじさんが、300ルピーでどうかと勧めてきたので、これ以上歩き回りたくなかったので、そこにすることにした。
ビル型のゲストハウスだが、入り口は隣と境界線のない良くあるタイプの部屋だった。部屋も6畳ワンルームにシャワートイレ付だったけれど、トイレの匂いが充満して気になった。
部屋もあまり好みでなかったが、このビルには20代くらいのイスラエル人バックパッカーがたくさん滞在しているようだった。
私は決してイスラエル人が嫌いなわけではないのだが、彼らの多くは国で兵役を終えて、長年の抑えられていた欲望を爆発させるかのように、あちこち旅に出る者が多く、インドには、群れをなして行動する若者イスラエル人が多かった。
私はここで、そんな彼らを身をもって体験させられるのだが、普段落ち着いた静かなところを好む私にとっては、彼らのテンションにはついていけなかった。
もう、ここは朝から晩までどんちゃんお祭り騒ぎだったし、隣部屋では10代かと思われるイスラエル女子二人がマリファナを売っているようだった。
そんなわけで、私は1泊でそこをリタイヤし、次の日の朝、とりあえず荷物だけ置いて、自分にふさわしいゲストハウスを探し求めたのであった。
あちこち歩きまわった挙句、私は、何とも素敵なゲストハウスを発見したのであった。
それは、ちょっと秘密の花園的な隠れ家的お屋敷と言った雰囲気で、真ん中の中庭を回りに2階建てのゲストハウスが2棟程あり、なんと言っても静か。
部屋の入口は隣の部屋とものすごく離れているので、隣人がドア前に来ることは決してない。 部屋前には庭を眺めるための専用ソファまである。
部屋を見せてもらうと、なんと広々とした部屋が3つもあり、日本で言えば、キッチンのない2LDKと言った感じであろうか?しかも、超高級アンティーク家具が置いてあり、すごくおしゃれ。ベッドもダブルサイズでふかふかして素敵!!
案内してくれたインド人は、ここの亭主なのかスタッフなのかわからないが、すごく誠実な雰囲気の方で、彼に値段を聞くと、なんと、「1泊350ルピーで良い」とのことだった!!
これにはびっくり。だって、昨日まで泊まっていたあのトイレ臭い刑務所みたいなゲストハウスが300ルピーだったのに。。
今までボラレまくりだった私は、なんだかご褒美でももらったような気分で、鶴の一声でここに決めることにした。
そして、私は足早にイスラエリーのシマのゲストハウスのマネージャーのおやじにチェックアウトの手続きを取り、荷物を持って喜びいさんでこのゲストハウスに移動したのである!!
ここでは、年末アンジュナに移動するまでの1週間弱の予定であったが、この部屋で過ごすことになってから、私の運気がガラリと変わり、次々とてつもないことが起こり始めるのであった。。。
インド旅の望郷 iN アランボール(ゴア) その2へ続く~