データベースの話と関連するのですが、国家機関は理系に弱いのではないかと思う事が色々あります。
ひとつは年金問題です。
5千万件にも及ぶ宙に浮いたデータですが、何の根拠もなく1年以内にきれいに整理するということを平気で言ってしまえるあたり、責任とか言うレベル以前の問題ですよね。
年金問題の根底にあるのは、データベース管理です。
データベース設計をされた方ならすぐ分かると思いますが、データの一番大元になるレコード(1行のデータのこと)には、必ずユニークキー(全体で1件しかあり得ないキー)を付けるのが鉄則なのです。
年金管理ではそれが付いていない訳です。
ですから、例えば名古屋市1-1-1に住んでいる鈴木一郎さん、1970年1月1日生まれ、等と言う複数の項目でそれを判定している訳ですが、これが引っ越したり、生年月日記録違いがあったり、職業を変えたり婚姻したりしてどんどんデータが変わっていくことにより、特定出来なくなってしまう訳ですね。
ひとつのマスタ(台帳のこと)にある、その人を表すデータに、月毎に収めたデータが複数関連付けされる訳ですが、ユニークキーひとつあればその関連性はずっと保たれるはずなのに、それが無い為にどんどん宙に浮いてしまった訳ですよね。
これを何とかしろとやいのやいの言っておりますが、専門家に言わせれば100年かかっても無理なのです。
ですから、民主党が頑張って追究されておりますが、たぶん政権交代しても誰がやっても年金問題は諦めた方がいいのです。と言っても、どう分配するかはまた問題になる訳ですが。
こういう事になってしまった原因は、国民番号に対する異常な程の拒否反応だったのではないかと推察されます。つまりはプライバシーが守られなくなるという事だったのです。
でもプライバシー問題に神経質になるあまり、年金はボランティアとして消えていく運命になった訳であり、最終的に老後を脅かすところまで行ってしまった。
ここにも問題があり、国民番号が付くことにより、どこまでプライバシーが侵害される事が予想されるのかという事を、論理的に追及・検証しなければならなかったのです。それから、他国ではどうしているのか等も含めて。
そういう論理的な詰めがこれまでメチャ甘くて、こうなってしまったという事をもっと反省しなければなりません。でも、そういう論議をする人はあまりいないのも悲しいですね。相変わらず、誰が悪いとかどこの政党だからダメとかそういう感情的な論議ばかり。これでは、いつまで経っても三流の政治と官僚に支配された三流国家から抜け出すことは出来ないのです。
足利事件もしかり、やはり理系的な詰めが非常に甘く、無罪の人を17年にも亘って留置してしまう結果になってしまった訳です。国民全員が反省すべきですよね。
(※この記事は特定の政党・省庁を非難するものではございません。)