教育 | 天然村ライブ

教育

文字通り、教え育てるということ。
来年から息子を保育園に通わせるかどうかでいろいろな可能性について検討している。

今回見てきた体験入園の施設は、モンテッソーリ教育を取り入れている。
カトリック系の幼稚園だが、見た感じも園での時間も宗教を思わせるようなものはなにもなかった。
勝手ながらカトリック系と聞くだけで自分の中でイメージしていたのは、聖書を読んだり、讃美歌を歌ったりそういうものを積極的に行うものなのかと思っていた。
体験保育も今回で二か所目。
今回は地域でも有名な私立保育でかつ、この界隈でも人気の施設に参加をしてきた。

モンテッソーリ教育というものを今回の体験をするまで全くという程無知であった。
もしかしたらそんな自分の浅い理解は、いまのレベルにおいても間違いが多いのかもしれないが、端的に言ってこの教育の骨子はこれにあるのではないかと思っている。

いけない、ダメという価値観が存在しない。
自由こそ、全て!
与えられた環境の中で今日一日どう過ごすか?については、各自の子供にすべて任せるというものである。

まず最初に驚いたのは、朝、園に到着するや否や、それぞれの子供がそれぞれやりたいことをやりたいようにしている姿だった。
施設の中に入り本を取る子供。
庭で真っ先に遊具で遊ぶ子供。
飼育小屋のにわとりにエサをあげに行く子供。
何をしなければいけないというルールがないので、それぞれが勝手に思い思いに行動をしている。

二番目に驚いたのは、邪魔をする子供がいないこと。
ルールがないのだから衝突が多いものだと思うのは、大人の勝手な解釈なのかもしれない。
それぞれが自由にやりたいことを許される環境に置かれると、それぞれの行動に承認が生まれ邪魔をする、されることがなくなる。
普通の子供であれば、遊具の取り合いや、誰が一番に...など衝突が生まれてもいいものだと思うが、それが殆ど見る限りない。
先生たちの話では、もちろん0ではないが、ほとんどそういうことにならないのもこの教育の一つの成果だと言い放っていた。
これは、驚きであった。

息子がいきいきと一人で遊んでいる。
誰とも関わらず淡々と好きなように自分の世界にいることを楽しんでいる。
園長先生が言うには、この信頼関係が大事だという。
自己実現の積み重ねることで人との協調性や、ルールを学び必要なときに必要な対応ができるような子に成長していくのだという。
本当にそうなのか?
そういう疑問にかられる方がいるのであれば、一度園庭で遊ぶ子供たちを覗きに行ってみることをオススメする。
その違いに気付くのではないだろうか。



子供のために行った体験保育であったが、どうやら今回教育を受けたのは自分の方であったようだ。
庭の片隅に建てられた記念碑の言葉がこれまたグサッと心をえぐる。
ピュアな心で何かに取り組んでいれば、いつかは自分も天国に入れるのだろうか?

園長先生が最後に教えてくれたこと。
「いまのままの自分でいい。そのことが自己承認できるようになった子は芯から強くなりますよ」、と。
いまこの教育を必要としているのは僕に限らず、大人たちなのかもしれない。

さて、これだけ語っておきながらうちの子の今後の保育はどうなることか。
しばらくまだ時間もあるようだし、いろいろな可能から考えて決めていくことになるだろう。

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