僕は道徳が苦手です。

だから、世の中で信じられている、
多くの人として美しいとか、正しい
と、言われる道徳像から、日に日にかけ離れています。

人には優しくしましょう

といういかにも道徳っぽい標語が苦手です。


優しくした方がいいから、優しくしようとすると、
自分の本心を抑圧しながら、
優しいフリをすることが多い。

結局、優しさは振りまいても、
見返りを心の奥では、見返りを求めているから、
不満の塊になっていたりします。


目的が優しくなる

だった時に、

正しいからそうなる

では、結局つづかねぇだろ。

って、思います。

楽しくでは自分を満たしてたら、
誰かのためにもなにかしたくなりました。

なら、続きそうです。

結局、客観的に見て良いことも、
道徳論で、自分を発起させたところで、
本心からはかけ離れているから、

長続きはしないし、かえって胡散臭い人間になってしまったりします。

だったら、自分を満たしまくってみる。

人への優しさは金持ちが有り余るくらいお金を持って、気楽に人のためにお金を使う感覚と同じようなもの。

そんな位に考えたら、結果として人にも優しく出来そうです。

でも、その自分を満たすこと

が、優しくなるため

になってくると、やはり正しさに縛られていきそうです。


幸せそうな人、

人に優しい人は、

もれなく楽しそうです。


だとしたら、

道徳なんて考えないで、じぶんが面白くなる方に

楽しくなる方に進んでいけばいいのではないか?

と、思うのです。


ですが、これだけ楽しみたい人間が社会を作っているというのに、

未だにこの国の空気は、

苦労に対して異常に高い価値をおいている

様に思います。


テレビをつけても、苦労話を沢山流して感動させよう、感動させようという意図を感じる番組で溢れています。


だから、常識から外れていかないといけないのです。

バカバカしいことを愛し、

自分のやりたいことばかりをしていたら、

なんか優しくなってました。

ってのがいい。