画家のドラクロワは、ショパンをよく訪ねた。ある日、ショパンが(多分お金持ちの
教え子令嬢)からもらったショコラ(ドリンクの方ね)をドラクロワにご馳走したら、ド
ラクロワが気に入ったらしい。お土産にあと一袋あるからとショパンが持たせようと
したら、ぼくはいいから君が飲めばと遠慮したという。1830年代の話だろう。この時代はココアの粉がやっと手に入る時代。貴重だったに違いない。
カカオは、大航海時代、アステカ(現代のメキシコあたり)王国から元気を回復すると
してヨーロッパに持ち込まれ、その後スペインで苦い飲み物として宮廷で飲まれてい
たが、それがフランスに渡ったのが17世紀。モリナというショコラを入れる召使い
を伴ってフランス宮廷にやってきた。マリー・アントワネットの時代まで、ショコラ
は薬剤師が扱っており(砂糖もそうだった)、革命前後にその薬剤師、ドゥ・ボーヴは甥のガレと一緒にショコラチエをパリに出す。
ドゥ•ボーヴは、マリー・アントワネットが病気になるとピストレと名付けたショ
コラを作った。
それを今でもサン・ジェルマン・デ・プレにあるドゥ•ボーヴ•エ•ガレというその店で食べるショコラとして売っ
ているが、当時はカカオからカカオバターを抽出する技術も生まれていなかったの
で、現代のものとは様子が異なるものだったであろう。
カカオバター抽出に成功したのは、1828年、オランダ人のヴァン・ホーテン。
そこから粉のココアが生まれる。
1832年には、フランスのムニエ社が(最初はファーマシーだった)ショコラ製造を手掛けるようになるが、その頃は、まだコンテイング技術がなかったので、艶のない粉を固めたようなものだったに違いない。ショパンが愛飲していたのは、ムニエ社のショコラかもね!
ムニエ社が学校教育用(!!)にカカオのオリジン国などを示した作成した見本
であるが(素晴らしい!)、下に丸い筒状のショコラがあるがそれである。
まだまだざらつきが残っていたショコラを、磨砕機を使ってコンチングと言う作業でなめらかにしたのが、スイスのロドルフ・リンツである。これが今の板チョコになった。
ショコラというとフランスのイメージが強いが、私がいた1980年代は、フランス
もやっとオリジンカカオという言葉が囁かれ始めたくらいで、その前はショコラと言
えばスイスだった。メゾン・デュ・ショコラのランクスさんやメゾン・ルルーのルル
―さんらがスイスにショコラを学びに行ったという。その他、ミッシェル・ショーダ
ンさんや、リヨンのベルナッションさんなどの努力によって、フランスショコラの繁
栄の道が築きあげられたのである。そんな先駆者たちに続いたのが、JPエヴァンやマルコリーニ。
Pic1は、ランクス、ルルー、JPエヴァン、マルコリーニさんたち。と、日本の巨匠一人(笑)。若!
ちょっとここで一つエピソードを。ルルーさんご夫妻が土屋シェフのテオブロマを訪ねた時、シェフがこのショコラチエ―ルをマダムにプレゼントしようとしたんですよ。そしたらマダム、いらないわ、重いから!とおっしゃて・・。これだ、と思いましたね、私も。重い物は、、、すみません、断ります(笑))












