年金というネズミ講システム | 感じる科学、味わう数学

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科学は、自然そのものというより、モデルです。数学は、関係性を捉える枠組みです。
だから、正しいか否かより、大事なのは視点です。

 日本の年金制度は当初、ネズミ講と同じようなシステムでした。
 
入会して掛け金を払えば、後から入会する人が払う掛け金を配当としてずっと受け取れますよー
 
 実際に加入者は、掛け金よりずっと多くの配当金を受け取りました。経済成長と人口増加が続く限り、このシステムは維持できます。こうしてうまく回っていました。
 けれども、経済成長と人口増加が終わった時点で、このシステムは破綻します。その意味では、ネズミ講方式の日本の年金制度はすでに破綻していると言えるでしょう。
 これからの年金制度は、名称だけは継続できても、中身は全く別の物にならざるをえません。かつての年金制度と比較するのは無意味です。

 さて、それでも私は年金と介護は国がやるべきだと考えます。少子高齢化の時代であれば、なおさらです。なぜなら、
◇ 各家庭でマンツーマンで扶養・介護するのは効率が悪すぎる。
 ただでさえ少ない勤労世代が働きに出れないようでは、家庭の収入が減り子にの税収も減って、家庭の収支も国の財政も成り立たなくなってしまうでしょう。
◇ 老後のために自分で貯蓄しなければならないとなると、若いうちに消費できなくなる。
 将来が不安だと、今を豊かに暮らすことができません。みんなが消費を控えると、国の経済が弱くなります。
◇ いつまで生きるか、どれだけお金がかかるか読めない。
 老後の資金を自分で用意しようとすると、老後のためにと貯めたお金が底を突いたり、たんまり余ったり。国に任せればそんな過不足は無くなります。
 
 いまどきの個人にとって最大のリスクは「長生き」です。長生きを望む一方で、長生きしたらした分だけコストがかさみます。そして、いくら必要なのかは分からないわけです。月20万円で計算しても120歳まで生きたら、60歳から 年240万円×60年 で1人当たり軽く1億円を超えます。逆に言うと、1億円貯めても120歳まで生きるかもしれないと思ったら月14万円ほどしか使えなくて、そのつもりで70歳で死んだら8000万円以上が残ることになります。
 早くに亡くなること・病気になることもリスクには違いありませんが、多くの人にとって最も現実的なリスクは長生きだと言えるでしょう。そのリスクに対して個人個人で対処しようとすると、こんなことが日本中で起こるわけです。アホらしくないですか。
 年金と介護を国がやれば国の支出が増えます。財政がきつくなります。だけれども、「自己責任」とか「受益者負担」などと言っていては、経済が回りません。少子高齢化の時代だからこそ、勤労世代にはしっかり働いてもらい、高齢者の面倒は国がみた方がよいと私は思うのです。
 いずれにせよ、これまでのネズミ講方式の年金は破たんするか、あるいはこれまでとはまったく別の制度になるはずです。今よりもっとお金の要る時代が間もなくやってきます。だから、今のうちから国が多額の借金を抱えているようじゃいけないのですが。。。