もし人間が不老不死になったら、地上に人間があふれて、足の踏み場もないことになる。もしあの世があったら、あの世に人があふれて、どこにも行き場がないことになる。もし自分だけが不老不死になって、他の人は死ぬとすれば、完全に孤立する。以上から、やっぱり死んで消えて無くなるのがいいな、という結論に達した。
生命には「自分を修復する能力」と「新しい生命を生み出す能力」があります。そして、どちらを採用するかは、コストの問題です。「古いものを修復して使い続ける」方が安上がりなうちはそうしますが、そうするのは割に合わないと見做せば「古いものを放棄して、新しいものに作り変え」ます。だから、生命には寿命があって、子孫を残すのです。
よわい齢 ・・・ それは致死率100%にして、不治の病。
生まれながらにして「余命ン十年、長くてあと100年もつかどうか」と宣告されたようなもの。
コストを無視してまで「修復して使い続けよう」とする動機は、生命にはありません。採算度返しで生き延びようという発想は、生命にはありません。
でも、古い生命が死ぬ代わりに、子や孫に命が引き継がれます。そういう形で、生命は生き続けます。そしてまた、自分が死んでも、きっと、あるいはもしかしたら生まれ変わる。そういう楽しい物語もあります。
一万年生きるとしたら、私はきっと悲しい。